ソフトバンクが2年連続のリーグ優勝を果たした。南海、ダイエー時代と合わせて21度目、1リーグ時代を含めて23度目の制覇となった。小久保裕紀監督(53)は球団史上初となる就任1年目からの連覇達成。故障禍の逆境を乗り越え、指針の3カ条を胸に新庄ハムとのデッドヒートを制した。次に目指すのは昨年は手にすることができなかった日本一の称号。小久保ホークスの挑戦はまだまだ続く。
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耐え抜いた末の頂点。小久保監督は格別な思いだった。昨年も味わったリーグ優勝だが、その重みは違った。「初優勝よりも100倍難しいんだ」。そう表現した王球団会長が1度だけ成し遂げたリーグ連覇。「本当に苦しいシーズンだった。1軍に携わった全ての選手、関係者全員の力がなければ2連覇というのは達成できなかった」。“王チルドレン”はベルーナドームで7度宙に舞い、尊敬する王会長と同じ景色を見た。
苦しかった。春先から想定外のアクシデントが多発。柳田、今宮、近藤、周東ら、昨季の独走優勝をけん引した主力が相次いで故障離脱した。開幕スタメンは全員が登録抹消を経験。5月1日には最大借金7の単独最下位。王者にとっては異常事態だった。「そら、指をくわえて見ているわけにはいかない」。柳町、野村ら20代の若手を抜てき。重い決断だった打撃職人・中村の代打専任の方針も曲げた。「Give it your all」。いま、自分が出せる全てを出す。100点は取れなくても100%を出す。春季キャンプでナインに力説した3カ条の1つ。旗印にナインが応え、歴史的V字回復を遂げた。
周囲に支えられた。守護神だったオスナは開幕から乱調。大胆な配置転換が頭に浮かんだ。転機は5月下旬。食事の席で王会長から言われた。「そう思うならば好きなように起用しなさい。(オスナと球団が結ぶ大型)契約のことは気にせず。勝てるように選手を使うんだ」。背中を押された。交流戦期間から杉山をクローザーに抜てき。その杉山は「今年出し切ることしか考えてない」。セーブ機会は失敗ゼロ。この日は大台30セーブで優勝の瞬間を締めた。タイトルを争う主力に成長し、小久保ホークスの命運が変わった。
コーチ陣に問い続けた。「勝つために何が必要か?」。月1度の食事会。時には酒を酌み交わし意見を求めた。「監督の表情が怖い。選手は見ている」。耳の痛い意見も受け入れた。「いろいろあったんです。人の行動が変わる時には理由がある」。7月19日の西武戦。表情は明らかに変わった。宿敵日本ハム戦では失点しても頬を緩ませた。3カ条2つ目は「Play happy」。勝負の場にいられることを幸せに感じ、「愉しむ」。ベンチの雰囲気が変わった。
昨年末、福岡市内の映画館。プライベートでホークスの映画「REVIVAL-2024優勝の軌跡-」を鑑賞した。エンドロール終了後、マスクと帽子を外して「来年こそ日本一になります」と宣言。前方3列目席から高らかに叫び、席を埋めたファンを驚かせた。10年ぶりの連覇は公約への第1歩。3カ条3つ目は妥協しないを意味する「Never settle」。現実に嘆かず、出し切り、愉しみ、究極の向上を目指した。
「今日まではリーグ優勝のことしか頭になかった。ここからはいかに日本一を取るかに頭を切り替えます」。小久保監督が頼った羅針盤は日本一の方角に向いた。【只松憲】
◆小久保裕紀(こくぼ・ひろき)1971年(昭46)10月8日、和歌山県生まれ。星林-青学大を経て93年ドラフト2位でダイエー入団。95年本塁打王、97年打点王。03年オフに無償トレードで巨人移籍。07年にFAでソフトバンクに復帰し、12年に現役引退。通算2057試合出場で2041安打、413本塁打、1304打点、打率2割7分3厘。青学時代に92年バルセロナ五輪で銅メダル。13年10月から17年WBCまで侍ジャパン監督。20年オフにソフトバンク復帰。21年は1軍ヘッドコーチ、22、23年は2軍監督。24年から1軍監督を務める。180センチ、82キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸1億円。



