プロ野球の東映、日拓(現日本ハム)で投手として活躍し、剛速球を武器に「怪童」と呼ばれた尾崎行雄(おざき・ゆきお)さんが13日午前8時23分、肺がんのため東京都内の病院で死去した。68歳。大阪府出身。葬儀・告別式は19日午前10時から東京都荒川区町屋1の23の4、町屋斎場で。喪主は長男力(ちから)さん。

 大阪・浪商高(現大体大浪商高)で1年夏からエースを務め、3季連続甲子園大会出場を果たした。2年時の1961年に夏の甲子園で優勝した後、17歳で高校を中退して東映に入団。1年目の62年に20勝を挙げて球団初のリーグ制覇に貢献し、新人王に輝いた。65年には27勝で最多勝を獲得した。故障もあって12シーズンで引退したため通算成績は107勝(83敗)に終わったが、剛速球のスター選手として活躍した。