<阪神8-0横浜>◇29日◇甲子園

 阪神岩田稔投手(25)はほんの少しだけ白い歯を見せた。ガッツポーズはせず、両肩の力を緩めた。シーズン84試合目での今季初勝利。「ケガで出遅れてチームに迷惑をかけてしまって…。遅い。うれしいけど遅い方が先にある」。プロ初完封の喜びも控えめだったが、苦しい日々を振り返ればグッとくるものがあった。

 「お願いだから話しかけないでほしい。何も言える訳ない。言ってはいけない立場やから…」。09年開幕前日の4月2日、そう呟いた。先発の軸と期待されて故障離脱。リハビリ中の5月中旬には大阪桐蔭高野球部の恩師、西谷浩一監督との電話中に「早く戻らないと」と焦りも口にした。虎の低迷がテレビに映る。何度も何度も自分を責めた。

 「一体、何をしにいったのか…」。3月のWBC中、左肩に違和感を覚えた。原因は「見え」だった。「松坂さんにダルビッシュ、岩隈さん…。すごい投手ばかりで負けられへんと。ボールが速い人に変な対抗心が芽生えて自分を見失った。それが力みにつながって…」。気づいたのは帰国後。周りに流された自分が情けなかった。「『0』に抑えるだけなのに」。バットの芯を外し、ゴロを打たせる。苦い経験から自分の生きる道を思い出した。

 WBC制覇の勲章は西宮市内の自宅に眠る。「別に飾るものでもない。自分で勝ち取ったものではないから」。金メダルは帰国後すぐケースにしまい、実際に着用した背番号19のユニホームも箱にしまったまま。大会DVDにも手をつけない。出場選手に渡されたWBC記念の手提げかばんは洗濯物入れに姿を変えた。世界一という肩書は過去のものでしかない。

 6月10日に1軍復帰後も結果を出せず。ローテ降格の危機に立たされ、今季5試合目でようやく力を発揮した。6回まで毎回安打を浴びながら要所を締めた。重心を低くするフォームに修正し「ブルペンで感覚が良かったから」ノーワインドアップではなくセットポジションから投球。三塁に走者を置いた場面で2度対戦したハマの4番村田からは3打席連続三振を奪った。最大の武器・スライダーを低めに集めて復活星をあげ、記念球は「持ち帰ります」。世界一グッズよりもうれしいボールを手に入れた。

 もう勝てないのでは…。弱気にもなった。だが自身の公式HPに記した「イワタマ」(岩田のこの1球、魂)の披露はこれから。「もっともっと勝てるように」。おわびの旅は始まったばかりだ。

 [2009年7月30日11時11分

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