懐かしく、忘れがたい響きがよみがえる。WBC大会でイタリア代表を率いる監督マイク・ピアザ。侍ジャパンが次回対戦する相手チームの“顔”は、かつて「日本でもっとも有名な大リーガー」と評された人だった。

ドジャースの中心選手で捕手だった男は、メジャーへの道を開拓した野茂英雄の女房役として、たちまち日本でもスポットを浴びる。イタリアの“血”が混じった、スタイリッシュなロン毛のイケメンだった。

1996年に米大オールスター(ペンシルベニア州フィラデルフィア)でMVPに輝いた光景は鮮明に覚えている。球宴が行われたベテランズスタジアムから南へ車を約20分走らせたノリスタウンで高校までを過ごしたから、まさに故郷に錦だった。

「父親に教えられたこと? 勇気かな。それと『自分を信じろ、夢はかなう』と言われてきたよ」

カーディーラーの父ビンスは「親戚を700人招待したんだ」と大喜び。息子が11歳のときに打撃ケージとピッチングマシンを授けた。イタリア系移民のドジャース監督トミー・ラソーダと旧知の仲。フィラデルフィア遠征ではピアザ少年がバットボーイを務めた。

88年ドラフトでドジャースから62巡目、全体で1389番目に指名を受けると周囲から「まるでボランティアだ」とコネ採用と言わんばかりに陰口をたたかれた。その父子が大リーガーの夢をつかみ、看板選手にまでのし上がった。

確かコロラド州デンバーのクアーズ・フィールドだった。ビジターでロッキーズ戦の開始は午後7時5分なのに、同1時過ぎに室内で打ち込むピアザの姿に触れたことがある。打撃コーチのスミスを伴う特打、ワンバウンド捕球の練習は連日続いた。それが名選手誕生につながった。

そのピアザが「監督」として脚光を浴びるのは、なにも不思議ではない。同じドジャースでは、サイ・ヤング賞男のカナダ系米国人エリック・ガニエが、フランス代表監督として采配を振る姿に接するなど想像だにしなかった。

日本も国際大会にもろいとささやかれた時代を経て、世界から注目されるまでに成長した。フランス国際大会でブルペンにへばりついたガニエの指導は印象的だったし、勝利に執念を燃やす姿に、いつか欧州にも野球が根付くのだろうと感じたものだ。

特にドジャースは、メキシコ系のフェルナンド・バレンズエラ、韓国球界初の大リーガー朴賛浩(パク・チャンホ)らに代表されるように、MLBでも多様性を先取りしてきた。そんな名門球団で「世界」を意識して育ったピアザ野球には興味津々だ。(敬称略)