僕が初めてJリーガーとなった2018年3月31日。契約書に書いてもらった年俸は「10円」。今でもその金額は脳裏に焼き付いている。とはいえ、これは僕がクラブにお願いをしてこの金額にしてもらった。
Jリーガーの中にはアマチュア契約で0円の選手もいまだに存在する。そういう意味でも、プロ契約をしたJリーガーの中では間違いなく最低年俸だろう。僕はJリーガーになる前、1000万円を超える年収があった。それはこのコラムでも、自分が出した著書「おっさんJリーガーが年俸120円でも最高に幸福なわけ」にも書いてあるのでそのあたりは割愛する。知りたい方はぜひ読んでみてほしい。
それなりに年収はあったが、毎月全て使い尽くす生活をしていたので、貯金なんてしなかった。僕にとっては貯金は悪で、貯金するくらいなら今という瞬間にお金を使った方がいいと思っていた。
貯金はなくても残高があればいい。これは僕が常に言っていた事で、今でもその感覚は抜けていないし、それが生きる上でとても大事になっている。
年収1000万時代は、自分のことが嫌いになりそうなくらいお金に執着をしていた。それはお金だけではなく肩書きや立場や住んでいるところにもステイタスを求めていた。そんな自分が嫌いだった。
しかし、周りからはチヤホヤされるし、何だかわからないが、凄いねとかいいねと褒められる。それが麻薬のように心地よくなり、抜け出る事ができない沼にハマっていった。どこかでずっと心の中ではお金から解放されたいと思い、お金の奴隷になっている自分に嫌気がさしていた。
しかし、この沼はそう簡単に抜け出せるほどやわな世界ではなかった。お金を持たずに生きていく方法はないかと何度も何度も考えた。しかし、答えはでないまま、その生活は続いていった。
だから僕の中で「40歳でJリーガーになる」という目標はお金からの解放宣言でもあった。Jリーガーになれたら年俸はいらないと決めていた。お金をクラブから直接もらわずどう生きていくかを考えていた。ひとつはクラウドファンディングで年俸1000万円を集めるという方法。
もうひとつは観客席20席をクラブからもらい、そこを1席1万円でマネタイズする方法。
そんなワクワクを胸にトライアウトを受け、3カ月戦い抜いた先に手に入れたJリーガーという名誉。いざマネタイズのために動いてみるといろいろなしがらみやクラブの事情で考え抜いた案はどちらも最終的にはやりきれなかった。
そこから俺の極貧生活は始まった。先ほども伝えたが、貯金は悪。残高さえあればいいと思って生きてきたおかげで、銀行口座には数百円の数字が並んでいるだけ。人間は不思議なもので、わかっているのに何度も銀行カードを入れては残高照会を確認する。あるはずのない数字を期待して。
お金のない安彦選手はコンビニでジュースを買うことすらできず、寮のベッドで明日が来るのを待つしかなかった。朝になれば寮の朝食がある。そこにタッパーを持って行き、白米と梅干しと海苔をもらう。それは俺の昼飯だ。そんな生活をどれくらい続けたのだろうか。
そんな中でもオフの日が一番の地獄。まず朝食がない。ということは必然的にお昼もない。本当に有難いことに、夜だけはご飯を食べられる定食屋さんがあった。そこで学生か!とツッコミを入れたいくらい食べていた。今思うと毎日が苦しかったが、本当に充実していた。そんな追い込まれた自分にワクワクして楽しい時間でもあった。
そんなある日、タッパーに入れたお昼を食べていたら、同じく寮に住んでいる19歳の若手選手が部屋を訪ねてきた。ドアを開けるや否や、「アビさん何してんすか?」の一言。そりゃそうだ。意気揚々と40歳のJリーガーが殴り込んできたかと思えば、食べているのは日の丸弁当。その光景に彼がこんなことを言ってくれた。「アビさん!プロがそんなご飯じゃダメだよ!」と。その通り!と心では思っているがどうにもできない。そんな彼が俺に「ご馳走するからランチ行こう!」と天使のような一言をくれた。俺は「神だ!」と心では大きく叫んだ。
普通はこういう時、40歳にもなればプライドもあるので即答はしないし、なんなら断るはずだ。しかし、俺は持っていたタッパーをベッドに置き「ぜひ!」と返した。その時に俺は思った。この恩をどう返すか、と。そして行き着いた結果、1000円の昼飯なら2000円分の話をしよう。3000円の夕食なら6000円分の話をしよう。
そう決めて、彼らが体験できない話や持っている経験を言語化して色々なことを話した。
僕は何人の選手に保険加入をやめさせたことか。多くの選手が保険に入るが、今やるべきことは未来に保険をかけるのではなく、今に投資をすること。2万円払っているならその2万円でトレーナーや栄養士を雇い、自分のパフォーマンスを上げて、来季の年俸を倍にした方が、保険をかけるよりはるかに意味があるし、どんな投資よりリターンがある。そんなことを伝えながら俺は生き延びていった。
ある日、どうしてもお風呂(SPAのような大きなお風呂)に行きたかった。しかし、恒例のようにお金はない。考えていると、ある選手がアビさん相談があるんだけど、と。すぐさまお風呂で話そう!と伝え、お風呂代を払ってもらった。こうして40歳のJリーガーはなんとか生きていくことができた。
何事もそうだが、お金を稼ぐのは簡単ではない。しかし、こういうことを経験する中で分かったことがある。それは仕事とは誰かの役に立っているかどうかということで決まる。人の役に立っていなければ、それは仕事ではない。もっと言えば会社が存在しているのは誰かの役に立っているからだ。だからみんなにはもっともっとワクワクして会社に行ってもらいたいと思う。
年俸10円のJリーガーは毎日が苦しく大変だったが、毎日にワクワクして楽しく生きてきた。それは格闘家になっている今も全く変わらない。みなさんは最近いつワクワクしましたか?
◆安彦考真(あびこ・たかまさ)1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、19歳で地元クラブとプロ契約を結んだが開幕直前のけがもあり、帰国。03年に引退するも17年夏に39歳で再びプロ入りを志し、18年3月に練習生を経てJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年にJ3YS横浜に移籍。同年開幕戦の鳥取戦に41歳1カ月9日で途中出場し、ジーコの持つJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を更新。20年限りで現役を引退し、格闘家転向を表明。22年2月16日にRISEでプロデビュー。プロ通算2勝1分け2敗。175センチ



