2月1日で、人生46年目に入った。会社として考えたらそれなりの老舗として誇れる年数だと思う。逆に考えると何もしなくても命があれば年数は重ねられる。

俺はどこで誰のどんな役に立っているのだろうか。会社が存在する意義は、どこかで困っている人の役に立っているからだ。46年という歳月は、「ただ生きてきた」ということだけではなくそんな裏側もちゃんと見なければ“年相応”とは言えなくなる。

俺の人生はいつも劣等感から始まっている。小学生のころは、生まれつき右目のまぶたが下がっていることもあり、「目たれ、目たれ」とバカにされた。それもあって証明写真は今でも大嫌いだ。「顎を引け、顎を引け」と何回も言われる。その出来上がりは右目のまぶたがしっかり覆いかぶさり、非常に滑稽だ。そんな自分を見るのが嫌で仕方なかった。

手術をするような話もあったがそこまで踏み切れない自分もいて、かなり苦しかったことを覚えている。ただそのおかげで、写真ではできるだけ笑顔にするよう癖がついた。笑っていれば両目とも細くなるからあまり右目のまぶたのことは気にならない。

最近知ったのだが、それは眼瞼(がんけん)下垂という病気のようだ。キックボクシングをやっている俺にはかなりハンディがある。ただですら年齢や経験がハンディになるのに、顎をひけないキックボクサーはもうどうにもならない(笑い)。顎を引けば視界は狭くなり、かなり苦しくなる。そんな中でもここまでやってきているんだ。少しはアンチも認めてくれよと思うこともある(笑い)。

そんな幼少期を過ごしてきた俺は、常にどこかで劣等感を抱えている。劣等感を抱えれば抱えるほど空回りをして、ことごとくうまくいかに少年時代だった。明るく振る舞うことで劣等感をなくせるのではないかと思い、とにかく騒いだ。中学生の時はそのせいでクラスから「あいつはいつもハズしてる」と面白くないやつのレッテルを貼られた。今思えばかなり“スベっていた”のは事実だが(笑い)。どこかで常に劣等感を抱え、それでもそれを見せないようにお調子者になり、できるだけ元気いっぱいの男子だった。

それが中学2年生のときのいじめにもつながったのだと思う。クラス全員からの、いわゆる「無視」だ。朝、登校しておはようを言っても誰も何も返してくれない。後ろに席の子に振り向いて「おはよう」と言っても目も合わせない。そんな生活が何日続いたのか全くわからない。

俺はその当時、サッカー部の部長だったが、実力的には大したことのない選手。副部長2人の方が、イケメンでサッカーもうまい。気がつけばみんなその2人の言うことを聞いていた。一切俺の声など届かない。なんならバカにもされていた。下手くそなくせに元気はいいし、うるさくていろいろ言ってくる。そんな印象だったと思う。

部活では相手にされず、気がつけば俺の周りには人がいないことが多かった。それでも一切手を抜かず練習をやり切っていた。そのことだけは今でもちゃんと覚えている。

練習の最初は必ずダッシュ10本から始まる。部長である俺の合図でスタートするのだが、スタートを切るのは俺だけ。みんなその後は副部長について走る。気がつけばここでも1人。それでも気にすることなく走り続けた。

そんな中学生時代、クラスに戻れば無視が待っている。どこにいようが、どこに行こうが、俺は1人なんだと思った。そんな日々が何日続いたかなんてわからない。普通の人にとっての1日が俺にとっては10日も100日にも思えるんだ。 そんなある日、休み時間にいつものように1人でいると、隣のクラスのサッカー部の仲間がふと入ってきて、何か用があったわけでもなく話し始め、チャイムが鳴るとクラスへと帰っていった。毎回、休み時間になると、どこからともなくサッカー部の仲間がやってくる。俺はそれに救われた。

涙が出そうだったが、絶対に泣かないと決めた。そうやって強がるから、仲間ができないんじゃないかとも思ったが、まだまだ劣等感の塊だった中学生は、そこを抜け出すことができなかった。

あとで知ったのだが、みんなあのダッシュ10本での姿勢を見ていて、「俺も走らなきゃいけないのにな」と思ってくれていたようだ。自分にできることを探した結果、俺のいじめを聞きつけ無言で助けてくれた。 サッカーや仲間に救われている人生。眼瞼(がんけん)下垂という病気は今もどこかで俺の劣等感として刻まれているが、それがあったからこそ何事にも全力で取り組む自分ができた。「努力はどこかで誰かが必ず見ている」。俺はそう思う。だから、劣等感を抱えて自分らしさを表現できない人は、思い出してほしい。どこかで誰かが必ず見ている、ということを。

何もしなければそのまま終わってしまう。自分が打ち込めるものがあれば、どんなことがあってもそこから目をそらさないことが大事だ。人間は弱い。でも目指すものや、ハマるものがあると強い。だから何でも良い。自分がこれが好きというものはとことん好きでいてほしい。

誰に何を言われようが「好き」という感情は自分を救ってくれる。俺も今でもその感情で動いている。好きはワクワクだ。ワクワクすれば必ず自らの行動でその先を見にいこうとする。まだ見たことない本当に美しい景色はワクワクと共にある。

一緒に戦おう。明日は自分で作る。だから今をおろそかにしない。自分の人生のリーダーは自分自身なんだ。

◆安彦考真(あびこ・たかまさ)1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、19歳で地元クラブとプロ契約を結んだが開幕直前のけがもあり、帰国。03年に引退するも17年夏に39歳で再びプロ入りを志し、18年3月に練習生を経てJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年にJ3YS横浜に移籍。同年開幕戦の鳥取戦に41歳1カ月9日で途中出場し、ジーコの持つJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を更新。20年限りで現役を引退し、格闘家転向を表明。22年2月16日にRISEでプロデビュー。プロ通算2勝1分け2敗。身長175センチ。

元年俸120円Jリーガーで格闘家の安彦考真
元年俸120円Jリーガーで格闘家の安彦考真