新日本プロレスの“野人”こと中西学(53)が2月22日の後楽園ホールで引退を迎える。ともに歩んできた第三世代の永田裕志(51)、天山広吉(48)、小島聡(49)の鼎談(ていだん)下編は、プロレスラー中西学のすごさについてです。【取材・構成=高場泉穂】

中西との思い出を笑顔で語る、左から小島、永田、天山(撮影・横山健太)
中西との思い出を笑顔で語る、左から小島、永田、天山(撮影・横山健太)

-中西選手との試合の思い出は

天山 95年にぼくが凱旋(がいせん)帰国した時の東京ドームでのシングルマッチの相手が中西さん。もっと弱い相手にしてくれって感じでした。「インパクト残さないと」「負けられない」という気持ちで必死にやりました。(結果は天山勝利)

永田 僕はとにかく(タッグで)組んで、最初は僕が中西さんを意識していた。あっちはオリンピック選手で、僕は行けなかった。ライバルじゃないですけど、常に意識していた。勝ちにいくには僕が相手をひきつけて、中西さんに暴れて爆発してもらえば勝率は良くなる。でも、中西さんに負けたくないという気持ちが強かったので、あうんの呼吸とかそういうタイプのタッグじゃなかった。ぼくがシングルトップ戦線で活躍するようになっても、中西さんの背中は絶対前にあるんですよ。あの人がやるだけで、ドッカンドッカン。当時そういうことは悔しいから言いませんでしたけど。

小島 94年のヤングライオン戦の決勝戦の相手が中西さん。当時若かったので、むきになってエルボーとかやるんですけど、序盤で中西さんのエルボーがすごすぎて、僕が記憶なくしちゃったんですよ。とんでる状態で試合して、勝ったら安堵(あんど)感とかいろんな感情が入り交じって、泣いちゃって。中西さんも隣でもらい泣きしていました。

天山 1発1発重いしね。逆水平はニシオくんが1番だと思う。

永田 僕も。いろんな人いるけど、1番。昔、ノアに参戦するときに、小橋さんのチョップ痛いよって聞かされてたんです。でも、中西さんのチョップをくらってたので、痛みという意味では免疫があった。

-そばで見ていてどんな選手だったか

永田 けっこう不器用で、自分のスタイルを悩んでた時期もありました。カール・ゴッチさんのとこに行って、急にテクニシャンになろうとしたり。時間はかかりましたけど、中西学はこれ、という自分のスタイルを確立しましたよね。中西さんが技を決めると、ドカーンと沸く。そして、あの人、空中バランスいいんですよ。トップロープからミサイルキックしたり。

天山 トップロープに上って静止するのは簡単なようで、すごい。

16年8月、G1クライマックスで野人ダンスをする中西学
16年8月、G1クライマックスで野人ダンスをする中西学

-11年に中西選手は試合中のけがで脊髄損傷

永田 特上すしと焼き肉弁当を持ってお見舞いに行ったんですが、体がシューとしぼんじゃってて。リハビリで必死に手ぬぐいを引っ張っている。何回も。運動時間終わってもやってる。あれみたら、言葉が出なかったです。

-中西選手は状態が戻らなかった、と話している

永田 ロープ走る時は、やっぱり…。でも、他の部分は元気。膝も悪くないからいまだにフルスクワットをやっている。

天山 ここ最近でも、アルゼンチンとか、いつも「腰痛くなんないの?」って聞いても、絶対痛いって言わない。負担くると思うんですけど、ニーパッドもしてないし。

-引退表明を受けて

永田 何年か前は60ぐらいまでやりたい、って言ったんだけどね。どういう心境だったのか。体きつかったんじゃないですか。自分の中で葛藤はあったんでしょうね。本人はすごい周りを気にするんですよ。でも、今はそこまで考えなくていい。引退試合まで全力でやってほしいし、一緒に張り合っていきたい。

天山 タッグは敵対する時より、リラックスできるんですけど、試合となるとこっちも必死にやらなくちゃと気合が入る。最後の中西学を見せるのに、ヘルプしたいし、100%がっちり組みたい。

小島 寂しいとしか言いようがない。今のプロレス界はカムバックする方もいる。それを前提にする引退もないですが、もし、中西さんが体調が悪い、首が痛い、そういうことが理由で引退を決めたのであれば、元気になればまた戻ってきてよと自分の中で勝手に思っている。お客さんは中西さんを求めてる。あんなプロレスラーらしい人いないじゃないですか。あそこまで、プロレスを体で表せる人はいない。(終わり)