デスクに電話連絡する。「今日は世界戦があるから、ゴングまでに会社へ上がってこい」。昭和の時代には、ボクシング担当でなくてもこう言われるのが常だった。現場に人が足りないと、テレビでパンチを数えたりするためだ。

試合が終わってもすぐ帰れない。読者から電話がかかってくる。感想を話し、ほめたり、批判したり。特に採点が微妙で「疑惑の判定」などになると、ジャンジャンかかってきた。「本社にも抗議電話殺到」という記事になった。

いつからか電話がホームページへのメールになった。今も電話はあり、本紙にも「読者窓口」の担当者がいる。今回は珍しく世界戦に関しての電話があったという。「井岡のタトゥー問題はもっと厳しく批判してほしい」というものだった。

大みそかの田中との世界戦は、日本人初の複数階級制覇王者対決で注目された。井岡が3度目のダウンを奪い8回TKO勝ち。試合決定時からの有言実行で格の違いを見せた。序盤は田中が攻勢も、防御のうまさで技術の高さも見せつけた。

週刊誌報道をきっかけに、試合ではなくタトゥーで注目となるとは思いもしなかった。確かに左脇腹に長男磨永翔(まなと)君の名前、左腕全面など新たに増えていた。井岡は現役復帰前、左腕内側に米国人思想家の言葉を入れたのが最初だった。

今回はコロナ禍のため、記者席はリングサイドでなくスタンドに設置された。リングから距離があるため、報道控室のモニターで試合を見た。試合中はあまり目立たなかった。試合後のリング下インタビューではっきりと映し出された。「やりすぎ」と思った。

国内でタトゥーは禁止されている。元暴力団員で、胸に皮膚移植して消したボクサーがいた。最近は緩和され、ファンデーションなどを塗るなどして隠す。井岡も措置はしたが、今回は時間とともに汗などで落ちたか、塗りが薄かったか。

タトゥーのある世界王者は過去もいた。対応や箇所にもより、知られていない人もいる。「若気の至り。後悔してます。子どもと銭湯に行けないので」と話す元世界王者がいた。

計量オーバーすると、まずはサウナに駆け込むことが多い。近年はタトゥーがある外国人選手は入場可能なサウナがなく、減量に四苦八苦する姿を見かける。井岡には外国人OKに不満もあるようだ。海外進出を目標に復帰して国内は想定せず、読み違いもあったかもしれない。

ボクシング担当になって数年後、91年にWOWOWでエキサイトマッチが始まった。海外の試合を見る機会が増え、タトゥーへの違和感は薄れていったように思う。ペイントだったが、背中に「なんとかcom」とか、スポンサー名を入れているのには笑った。

総合格闘技でテレビ局からタトゥーを隠すシャツ着用を要望され、拒否した選手が中継されなかった例もある。今やファッションになったが、国内では不快に思う人はまだ多い。この問題への意見は「ルールは守れ」と「ルールは古くさい」に二分しているようだ。

ボクシング界は角界と同様に、昔は興行形態などから暴力団と関係があった。現在は反社会勢力を排除する動きも進み、業界にはタトゥーへの拒絶感は強いようだ。容認する声も増えてきた時代の流れとは裏腹に、ルール改正は簡単ではない日本の事情がある。本人の好きにすればとは思うが、現役のうちは我慢するのが一番だ。【河合香】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

20年12月31日、田中恒成をTKОで破り、チャンピオンベルトを腰にポーズをとる井岡一翔
20年12月31日、田中恒成をTKОで破り、チャンピオンベルトを腰にポーズをとる井岡一翔