関脇玉鷲(34=片男波)の初優勝で大相撲初場所の幕を閉じた角界に、また1人、モンゴル出身の関取が誕生した。1月30日の大相撲春場所(3月10日初日・エディオンアリーナ大阪)番付編成会議で、新十両に霧馬山(22=陸奥、本名ビャンブチュルン・ハグワスレン)が昇進した。95年初場所の旭鷲山(元小結)に始まり、これでモンゴル出身の関取は、約24年で34人目。1年に1人以上、関取を輩出していることになる。

現役関取最重量の逸ノ城(25=湊)、突き押し相撲を貫く玉鷲らを除けば、柔軟性を身上に軽量でしなやかな身のこなし、多彩な技、俊敏性を生かしたスピード、四つ相撲など、モンゴル出身力士は似通った武器を身につけている。霧馬山も入門時94キロの体重(身長は184センチ)を、無理なく増やし130キロで新十両昇進を果たした。124キロで大関昇進を果たした師匠の陸奥親方(元大関霧島)も「稽古やトレーニングをやりながら自然と大きくなっていくのがベスト。寝てばかりで体重を上げても意味がない。自分に合った体重があればいい」と、ここまでの体の成長ぶりには合格点をつけた。

巨漢の小錦を力相撲でねじ伏せた師匠のように、鋼のような筋肉質の体で、まわしを引きつけて力を発揮する。霧馬山は目標とする力士に、同郷の先輩横綱の日馬富士、白鵬、鶴竜のほかに「まわしを取って力を出す、千代の富士関(元横綱=故先代九重親方)も自分のタイプ」と言う。闘争心やスピードは日馬富士、反射神経に裏付けされた抜群の相撲勘の良さは白鵬、強靱(きょうじん)な足腰と無類のかいな力は千代の富士…。そんな究極の力士像を目指す。

性格は「優しい」と陸奥親方。ヒジのケガで低迷した時は、人知れず涙を流すこともあった。入門時には師匠から「関取になるまでモンゴルに帰るな」と約束され「ハイ」と即答したものの「なんで返事をしちゃったんだろう」と、郷愁に駆られ悔やむ日もあった。昨年11月の九州場所前のこと。そんな愛息の胸中を察してか、モンゴルから両親と兄、妹が来日した。約4年ぶりの再会を果たし「ボクのちょんまげ姿を見てビックリしてました。“えーっ”て。一緒に食事とかしてリラックスできました。だから、あの九州から(成績が)いいんです」と霧馬山。西幕下12枚目の九州場所で6勝1敗。そして西幕下筆頭に番付を上げた初場所で4勝3敗と勝ち越し、念願の関取の座を射止めた。

陸奥部屋にとっても、08年初場所の霧の若以来、11年ぶりの新十両。部屋の関取衆も、八百長問題で2人が引退勧告処分を受けたため、11年5月の技量審査場所の番付を最後に、関取衆が途絶えていたが、そのブランクも埋めた。師匠にとっては、さぞや感慨深いものがあろうと思いきや「いや、それも一瞬(の喜び)ですよ。もう頭は次の場所にいってます。自分が現役の時も、勝って喜ぶのは花道を過ぎるぐらいで、うれしいのはそこまで。支度部屋に戻ったら明日のことを考えていましたから」と、すでに春場所を見据えている。霧馬山本人も喜ぶひまはない。

ただ、1つだけ自分へのご褒美として、喜びを実行に移す。入門時の師匠との約束を果たし、2月13日にモンゴルへ里帰りすることだ。17日には再来日する慌ただしいスケジュールだが、新十両昇進の報告を電話でした時、泣いていた母エンフゲルさん(47=内科医)とも再会できる。「日本から何かお土産を買って帰る?」の問いかけに「この自分が(何にも代え難い)土産です」と即答した孝行息子。氷点下20度の故郷で、温かな家族のぬくもりを感じて再び精進の日々が始まる。【渡辺佳彦】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)