力道山やジャイアント馬場のライバルとして知られる伝説の覆面プロレスラー、ザ・デストロイヤー(本名リチャード・ベイヤー)さんが7日(日本時間8日)、亡くなりました。享年88歳。日刊スポーツでは、デストロイヤーさんが現役引退した93年7月に連載を掲載しています。今回追悼をかねて復刻版として再掲載します(年齢などは当時のまま)。

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カエルの子はカエル。今年1月9日、デストロイヤーの長男カート・ベイヤー(32)が全日本プロレスからレスラーとしてデビューした。カートが1960年9月23日に米ロサンゼルスの聖ジョージ病院で、15時間の難産の末に誕生した時は、「手がすごく大きかったから、プロフットボールのQBにしたいと思った」と、自分が果たせなかった夢を託そうとした。

だが、少年時代から強い父にあこがれ、尊敬していたカートはレスラーになりたいと常々訴えるようになった。83年から5年間、東京にある英字新聞のデイリーヨミウリ社に記者として勤務。88年からは広告関係の仕事をしたが、その間「レスラーになりたい」と、父に訴え続けた。カートの粘りに負け、90年にOKの返事を出したが「もう少し、早くOKを出してやれば良かった」という後悔もあった。カートの32歳という年齢は、レスラーを志すには遅いものだったからだ。

父親からOKの返事をもらったカートは、サンフランシスコ大に進んでいた弟のリチャード(24)とともに、トレーニングを開始した。現在米国陸軍少尉として韓国に駐留しているリチャードも「カートの収入とかを見てから正式に決めたいね」とはいうものの、レスラーになることを決めている。

また、29歳の長女モナ・クリスも、今年2月14日のバレンタインデーに、知り合ってから1年でプロレスラーのダニー・スパイビー(36)と結婚式を挙げたばかりだ。いつの間にやら、デストロイヤー一家はプロレスファミリーになってしまっていた。プロレスでは、親子レスラーは珍しい存在ではない。不慮の事故や自殺などで、「呪われた一家」として有名なエリック一家、4人の息子をレスラーにしたスチュ・ハート。マイク、テッドのデビアス親子。ボブ、ブラッドのアームストロング親子と、数え上げたら切りがない。

引退シリーズということで、カート、スパイビーとファミリータッグを組み、馬場ファミリーと試合をすることを楽しみにしていたが、スパイビーが肩を故障したため急きょ来日を中止。夢は実現しなかった。「まさか自分の息子とチームを組めるとはね。待ったかいがあったよ。とても楽しみにしている」。28日、横浜文化体育館大会でカートとの初タッグ決定に、白マスクの下でデストロイヤーは、はにかんだ。 【川副宏芳】