新日本プロレスの“制御不能のカリスマ”内藤哲也(40)が23年での逆転を誓った。

4日の東京ドーム(D)大会で自信が率いるユニット「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」のSANADA、BUSHIと組み、新日本ラストマッチとなった武藤敬司、棚橋、海野組と対戦する。かつて憧れた武藤超えを果たし、来年の東京Dでメインイベントへの返り咲きを狙う。

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あと1歩が届かなかった。内藤の22年を一言で表現するとなれば、この言葉が適当だろう。春のトーナメント戦ニュージャパンカップ準優勝、夏のリーグ戦G1クライマックスベスト4…。新日本の頂点IWGP世界ヘビー級王座に2度挑戦も、初戴冠には至らなかった。内藤は言う。「いいところまでいくのは誰にだってできる。そこから先がどう進めるかが重要」と。

目標は今年も変わらない。24年の東京D大会のメインイベントに戻ることだ。21年を最後に遠ざかっている大舞台。「目標をこれだけ口にしておきながら達成できないのは格好悪い。でも、それぐらい本気。また公言したいと思います」。新日本年間最大の興行で、勝利して花道を逆方向に歩いて帰る。その目標はいまだ果たしていない。そこへの興味は尽きない。

40歳になって、プロレス人生のタイムリミットについて考えるようになった。昨年5月には右目の手術を経験し、膝の状態も万全にはほど遠い。「意識はしてこなかったけど、今までが恵まれていたんだなと思う。プロレスラー内藤哲也が注目されている状態は、いつまでも続くわけではない」。自覚を強くした一年だった。

だが、それは決して負の感情ではなかった。1人になると「試合に負けたらどうしよう」などと考えるという、普段はネガティブを自称する内藤だが、「時間がないなら今を思いっきり楽しもうと思えた」。合言葉の「トランキーロ(焦るな)」のように、変化を前向きにとらえている。

4日には、自身がプロレスラーを目指すきっかけとなった武藤とタッグマッチで対戦する。だが「武藤敬司のラストマッチとして注目されることがすごく悔しい。普段、新日本にいない選手ですから。ただの記念試合では終わらせない」と、反骨心をむき出しにする。11年前の東京D大会で1度肌を合わせているが、その時は何もできずに終わってしまった。「今の内藤哲也をお見せする」と、不敵に宣言した。

昨年10月にアントニオ猪木さんが死去し、今年2月には武藤が引退する。プロレス界は象徴を欠くが、そのポジションに興味はないという。97年6月5日。日本武道館の2階スタンドの後ろから2列目。その席から新日本のリングを見ていた中3の内藤は、新日本のレスラーになろうと決めた。「あの時の内藤だったらどう見ているか、あの時の内藤だったら今の内藤に何を求めるのか」。内藤はいつも内藤少年の目を大切にしている。誰のためでもない。これからも自身が納得できる戦いを追求していく。【勝部晃多】