ノアの三沢光晴(45)がデビュー26年目で初の最優秀選手賞を獲得した。07年プロレス大賞選考会議が10日、都内のホテルで行われ、看板選手の小橋建太長期欠場のピンチをGHCヘビー級王者として、また団体社長として支えたことが評価された。また、ベストバウト賞には12月2日の小橋復帰戦が選ばれ、相手を務めた三沢は2冠を獲得した。授賞式は25日、都内のホテルで行われる。

 中年の星にプロレスの神様からのプレゼントだ。王者としての強さと、ケガを押して出場を続けた責任感を見せた三沢が、自身初でノア所属選手としても初のMVPの栄誉に輝いた。三沢は「年齢の割には頑張ったかな」と照れ隠しで控えめに喜んだ。

 人気の小橋を腎臓がんからのリハビリで欠く中、自身も1月の防衛戦で古傷の首を痛めた。若いころとは違って治癒も遅く、欠場して治療する必要があった。それでも、プロレス人気の低迷で入場券も以前ほど売れない状況の中、会社のトップの責任感で出場し続けた。営業担当者も「苦しかったが、こちらから出てくださいとは言えない。社長はそんな現場の立場を理解して、黙って出てくれた」と感謝した。

 無理がたたり、8月下旬には寝返りが打てず、眠ることができないほどの苦境に追い込まれた。「体はきつかったけど、タイトル戦という目標があったから頑張れた。楽しんでやってきたね」。プロレスが好きで強くありたいという原点に戻ることで、ピンチに打ち勝った。気付けばこの1年で7度防衛した。03~04年の小橋の最多記録に並んでいた。

 3冠ヘビー級王座の防衛記録をつくるなど、全日本時代から何度も候補に挙がりながら、あと1歩のところでMVPに届かなかった。「ぶっちゃけ、他の選手が選ばれた方がうれしかったね」。自分よりも周囲を優先する三沢らしさが、ノアとプロレス界の苦境を救った。【来田岳彦】(2007年12月11日付紙面から)