大関経験者で東十両筆頭の朝乃山(29=高砂)が、狼雅を破り、5連勝で8勝1敗とし、勝ち越しを決めた。

全28人いる十両では最上位の番付。勝ち越せば原則的に番付が上昇するため、夏場所(5月14日初日、東京・両国国技館)での再入幕が確実となった。

新型コロナウイルス対策のガイドライン違反による、6場所の出場停止処分が出てから2年。この日の取組後は「謹慎中は長かったですけど、今、こうしてまた、本土俵で相撲を取れる喜びをあらためて(感じる)。1番1番、自分自身も楽しく相撲を取れている。(これまでの道のりが)短かったか、長かったかは分からないです」と語った。大関から三段目まで番付を落としたが、来場所でついに幕内に返り咲くことになる。

この日の取組は完勝だった。立ち合いですぐに得意の右四つになると、すかさず左からの上手投げ。「自分の中で勝ち越しは通過点。出場しているからには優勝を目指している。まだ終わっていないので、明日からまた、自分の相撲を取っていきたいです」と、気を緩める様子もなく語った。

成長も感じる一番となった。「先場所も対戦しましたが、先場所は先に上手を取られて、長い相撲になっていた。今場所は、先に自分が上手を取って攻めていく気持ちでした。投げは体が勝手に反応しました」と、初顔合わせだった先場所に続いて勝ったが、内容は今場所の方が格段に良くなったという自己評価だ。

4日目に逸ノ城との幕内優勝経験者対決に敗れ、1敗したが、その後は白星を重ねた。5日目の栃ノ心戦は、十両以下では初となる大関経験者対決となったが完勝。7日目の湘南乃海戦は、土俵際で投げの打ち合いとなり、手をつかずに顔面から落ちる執念を見せて白星をつかんだ。その時にできた右目の上下2カ所の傷が、痛々しく残る中で、再入幕を決めた。2場所連続の十両優勝に向けても、先頭を守った形となった。

謹慎休場中、何度も自分に問い掛けた。「なぜ大相撲に入ったのか、何のために大相撲に入ったのかと1年間考えた」。考えれば考えるほど、外出禁止期間中のキャバクラ通い、しかもそれを否定する虚偽報告をした過去の自分が恥ずかしくて、情けなく思えた。

さまざまな人に、しかられた。後援会の会員数も減った。それでも、しかってくれた人たちは、以前にも増して応援してくれた。一時は減った後援会員も、謹慎休場前とほぼ変わらない。「応援してくれる人がいたから、こうして続けられる。自分1人では、たどり着けなかった。不祥事で信頼を一気に失ってしまった。もう1度『富山のスーパースター』になるために頑張りたい」。

富山商高、近大と、2つ母校で指導を受けた恩師は、ともに天国へと旅立っている。富山商高相撲部の監督だった故浦山英樹さんが40歳で亡くなる直前、朝乃山に宛てた手紙には「石橋(朝乃山の本名)、お前はよく相撲を頑張っている。俺の誇りだ。横綱になれるのは一握り。お前にはその無限の可能性がある。富山のスーパースターになりなさい」と書かれていた。病気の影響で、震えた文字だった。その手紙は毎場所、必ず持ち歩いている。宿舎では今場所、枕元の上に置いている。

その手紙を入れている青と黒の巾着は、近大相撲部の監督を務め、55歳で亡くなった伊東勝人さんから、大学卒業時に贈られたものだ。大相撲での活躍を期待し、信じてくれた2人の恩師の思いを感じながら、土俵に立ち続けてきた。「恥ずかしくない相撲を取る」。2人の恩師に教えてもらった、相撲の技術はもちろん、正々堂々と戦う精神を忘れず、再入幕へとたどり着いた。

ただ、あくまでも再入幕は通過点だ。「年内に三役に戻りたい」。今場所は、2場所連続の十両優勝で、来場所の幕内中位に返り咲くことが目標。勝ち越しを決め、幕内返り咲きを確実とし、一段と勢いを加速させるつもりだ。