ヤングリーグの先輩が甲子園、侍ジャパンを経て、神宮で飛躍を目指している。オセアン横浜ヤング(西関東支部)出身の緒方漣内野手は現在、国学院大硬式野球部の1年生。東都大学リーグデビューの年は、春季リーグ戦で1号本塁打こそ放ったが、大暴れとはいかなかった。それでも、中学時代に日本一、高校時代に世界一を経験した逸材は、手応えと課題を胸に来季を目指している。野球人生の原点から横浜高時代の快挙、大学生活まで語ってもらった。前後編で掲載する。【取材・久我悟】
【原点は壁当て】
夕暮れのグラウンドで深紅のトレーニングジャンパー姿の野球部員が自主トレや体力測定に励んでいた。横浜市の国学院大のグラウンドに緒方選手を訪ねた。身長167センチながら肩幅が広く、胸板が厚い。取材は、鳥山泰孝監督の了解を得て、一塁側ベンチ上のスペースで行った。
―大学1年目のシーズンが終わりました。春の開幕戦に先発出場しましたが
緒方 投手のレベルに驚いたというか、リーグ戦はひと味ちがくて、そこに苦しんだ1年でした。
―どう違いますか
緒方 コントロールと変化球も甘い球がほとんどないので、力をつけないといけないし、対応力もつけていかないと。課題がたくさんあります。
―春の亜大戦で1号を打ちました
緒方 チームにはまったく貢献できてないので、もっと出続けて、結果を残し続けたいです。
―守備面は
緒方 ノックの量も増えて、自信がついてきました。
守備への自信を裏付けるエピソードは5歳のころ。両親も兄も姉も野球かソフトボールの選手だった家庭で、熱中したことがある。
―小さい時の野球の記憶で浮かぶのは
緒方 「壁当て」ばっかやってました。家の前の公園と、家の中でもやわらかいボールで。軟球にはゴムの縫い目があるじゃないですか。あの山がなくなって、ツルツルのボールを作っていました。
―壁当てが原点ですね
緒方 国学院は上月健太コーチの勧めもあって、壁当てをやっています。捕球の時に足が合わなくなると、壁当てでバウンドに合わせる練習をします。足使って捕って、投げて、下がって、また前に出て投げる。先輩に教わりました。
【中学時代に日本一】
―小学生のころ、オセアン横浜の柳川洋平監督(元ソフトバンク投手)に、熱心に誘われたそうですね
緒方 スカウトに来てくれました。柳川さんだけでしたけど(笑い)。最初はヤングリーグのことが、よくわからなかったんですけど、どのチームより、オセアンが一番よく練習していた。父親からも高校の準備をするためのチーム選びをアドバイスされました。柳川監督の「ヤングリーグの歴史を変えるぞ」っていうのも響きました。
―実際に入ってみてどうでしたか
緒方 練習がハードすぎて(笑い)。試合の時は朝5時に家を出て、高速使って6時に厚木の練習場に着いて、試合が終わったら、夜9時までバッティングやって終わり。夏休みは毎日やってました。冬は素振り、ティー打撃、連ティーで徹底して振り続けて、バッテ(手袋)が血まみれでした。
―横浜高校も厳しいと評判ですが、オセアン横浜もなかなかですね
緒方 根性がつきました。本当の負けん気がつきました。
―グラチャン優勝という結果も出ましたね
緒方 最後の大会で優勝できたので、すべて報われました。その過程がよかったのかと思ってます。
―技術的には
緒方 上野貴士GMからいろいろ教わる中で、中軸を任されると、打たなきゃとか、俺が俺がって思うんですけど、欲を捨てることがチームの勝利につながるし、勝つことで自分の価値も上がっていくという話をしてもらって。当時はわからなかったんですけど、1番や3番を打つ自分はつなぎのタイプ。選球眼や逆方向への打撃などを高めるようになりました。
―横浜高を選んだのは
緒方 最初は県外の学校に行きたかったんです。でも、柳川監督から「神奈川でやれ。一番お客さんも入って、やりがいあって楽しいから」って。それで神奈川の高校に絞って。やはり全然違いました。お客さんがすごく入って。春は無観客でしたが、夏はどんどん入っていって、楽しかったです。(つづく)
◆緒方漣(おがた・れん)2005年(平17)6月20日生まれ、神奈川県出身。5歳の時に大島三丁目子ども会野球部、小4で元宮ファイターズ、川中島中時代にオセアン横浜に入部。中3のグランドチャンピオンシップ大会で関東勢初優勝。横浜高で1年春から遊撃手のレギュラーに。夏の甲子園の1回戦(対広島新庄)で放った逆転3ランは、大会1号で史上初の1年生サヨナラ弾だった。2年夏も甲子園出場。3年夏は神奈川大会決勝で慶応に敗れた。甲子園は逃したものの、U―18W杯侍ジャパン入りして、MVPに輝くなど初の世界一に貢献した。高校通算16本塁打。24年4月に国学院大に入学。春秋の東都大学リーグ戦の通算成績は14試合23打数2安打、1本塁打、1打点、打率0割8分7厘、1失策。

