演歌・歌謡曲の世界で「第7世代」と呼ばれる若手歌手が活躍しています。日刊スポーツ・コムでは「われら第7世代!~演歌・歌謡曲のニューパワー~」と題し、音楽担当の笹森文彦記者が、そんな歌手たちを紹介していきます。今回から登場するのはシンガー・ソングライターおかゆ(30)です。「平成のおんなギター流し」の異名を持つ注目の存在です。

ギターを抱えポーズを決めるおかゆ(撮影・横山健太)
ギターを抱えポーズを決めるおかゆ(撮影・横山健太)

おかゆは、食べるお粥(かゆ)とは関係ない。中学時代に、本名「ゆか」を逆転させて「お」を付けた「おかゆ」がニックネームとなった。これをそのままアーティスト名にした。

お粥は体にやさしいイメージだが、シンガー・ソングライターおかゆが放つ歌はズシリと心に響く。メジャーデビュー前に、全国のスナックや居酒屋をギターを抱えながら訪れ、リクエストに応じて歌った。「平成のおんなギター流し」と呼ばれるそうした経験が歌に生きているのだろう。

1月26日にカバーアルバム「おかゆウタ カバーソングス2」を発表する。昨年2月発表の「おかゆウタ~カバーソングス~」に続く第2弾である。

おかゆ 時代に残る流行歌を歌うのが流しの仕事です。最初のアルバムでは昭和、平成、令和の3時代の曲をカバーしましたが、今回の「2」は明治、昭和、平成、令和の4時代の曲をカバーさせていただきました。

昨年、TikTokで注目されたラップの「雲の上」(心之助)は令和の代表曲として、東京五輪の閉会式で流れた「星めぐりの歌」(宮沢賢治)は明治の代表曲として収録した。この他に「残酷な天使のテーゼ」(高橋洋子)を始め、「メロディー」(玉置浩二)「東京」(やしきたかじん)「思秋期」(岩崎宏美)「みずいろの雨」(八神純子)「五番街のマリーへ」(ペドロ&カプリシャス)「DOWN TOWN」(シュガー・ベイブ)、さらにボーナストラックの「氷雨」(日野美歌)と計10曲を収録した。

おかゆ 流しを始めた14年頃は、お客さまは人生の先輩の方が多かった。4、5年たってスナックブームが若い人の間にも起きて、ポップスのリクエストがいっぱい来るようになった。時代の流れを見ながら、おじいちゃんから孫まで3世代に聴いていただけるよう常に勉強していかなければいけないと思っています。

インディーズ時代からシンガー・ソングライターとして多くのオリジナル曲を発表している。一方で、他の歌手の作品を歌うカバーにも魅力も感じている。流しはまさにカバーである。

おかゆ カバーされる曲には、ものすごい力があると思うんです。その曲を作った人の才能と、歌っているご本人の歌の力がものすごいんだと思います。その曲を自分の声で、その曲への思いを込めて表現したらどうなるんだろうって。ものまねではなく、あらためてその曲をいいなと思ってもらえればと思います。そして、自分もカバーしていただけるような曲を作りたいんです。

その思いはアルバムジャケットにも表れている。おかゆの髪が赤や青、黄色や茶色になびいて、カラフルに仕上がっている。

おかゆ 1曲1曲にカラーや個性があります。全部をおかゆという同じ人物が歌っているわけではありません。1曲1曲のカラーを、私の声でそれぞれ彩っています。原曲を好きな方も、まだ聴いたことのない方も、違ったカラーで楽しんでいただきたいです。

おかゆの新アルバム「おかゆウタ カバーソングス2」のジャケット
おかゆの新アルバム「おかゆウタ カバーソングス2」のジャケット

そもそもなぜ流しになったのか。流しをあらためて説明する。「流し」とは、アコーディオンやギターなどを抱えて、酒場で流行歌を歌い、祝儀をもらって歩く職業のことで、演歌師とも言う。かつては、流しから人気歌手も生まれた。北島三郎、渥美二郎、そして国民栄誉賞を受賞した作曲家の遠藤実さんも流しを経験している。60年代後半から70年代初頭にかけての全盛期には、日本一の繁華街の東京・新宿に100人以上の流しがいたという。まだ子供だった藤圭子さんが母親と一緒に流しをしていたと言われているが、もともと女性は少なかった。70年代後半からカラオケが定着し、流しはしだいに減っていった。そうした状況にある中、おかゆは22歳で流しの仕事を選択した。それは歌手になるためだった。

17歳の時、母が急死した。37歳の若さだった。原因は過剰なアルコールの摂取だった。実は母の夢が、歌手になることだった。そんな母親に幼少の頃からスナックに連れていかれ、歌を聴かされた。そうした環境に戸惑い、母を嫌うようになっていったが、突然の別れを機に、その遺志を継いで歌手になりたいと思ったという。

おかゆ 小さい頃からのど自慢荒らしだったとか、専門学校に行って歌の勉強をしたとか、そうした経験は私には何もなかった。なぜか遺志を継ぐには流しだと思ったんです。

こうして歌手を目指す道を歩み始めたが、その道はまさに苦難の日々の連続だった。(つづく)

笑顔で取材に応じるおかゆ(撮影・横山健太)
笑顔で取材に応じるおかゆ(撮影・横山健太)

◆おかゆ 1991年(平3)6月21日、札幌市生まれ。中学2年の時に関東に転校。貿易会社事務員、ライブバーの歌手などを経て、12年に水産庁の公認プロジェクトで魚の食文化の啓発と発展を目指すアイドルグループ「ウギャル音楽部」に加入。14年から流しを始め、17年3月に初ソロアルバム「おんな流しのブルース」を、17年12月に初シングル「女三楽章」をインディーズ(自主制作)で発表。テレビ東京系「THEカラオケ☆バトル」で2度優勝。BSテレ東「徳光和夫の名曲にっぽん」6代目アシスタントも務めた。ビクターエンタテインメントにスカウトされ、19年5月にシングル「ヨコハマ・ヘンリー」でメジャーデビュー。20年5月に第2弾の両A面シングル「愛してよ/独り言」を、21年6月に第3弾「星旅」を発表。「六月ゆか」名義で他の歌手に楽曲提供もしている。趣味はファッションコーディネート、哀愁ある写真の撮影、純喫茶巡り。165センチ、血液型A。

◆第7世代 もともとは若手芸人が18年ごろに提起した、主に10年以降にデビューした芸人の総称。これを機に第1世代(コント55号、ザ・ドリフターズら)から第7世代までの世代区分が生まれた。この発想を戦後歌謡界に当てはめたのが演歌・歌謡曲版。デビュー年や初ヒット年を参考に、第1世代が「春日八郎、三橋美智也、三波春夫、村田英雄」ら。第2世代が「美空ひばり、島倉千代子、橋幸夫、北島三郎、舟木一夫」ら。第3世代が「森進一、千昌夫、五木ひろし、都はるみ、水前寺清子、大月みやこ、八代亜紀」ら。第4世代が「石川さゆり、小林幸子、川中美幸、坂本冬美、伍代夏子、香西かおり、藤あや子、細川たかし、吉幾三」ら。第5世代「水森かおり、氷川きよし、北山たけし」ら。第6世代が「山内恵介、三山ひろし、福田こうへい、市川由紀乃、丘みどり」ら。


◆笹森文彦(ささもり・ふみひこ) 北海道・札幌市生まれ。早大第1文学部心理学科卒。1983年入社。文化社会部で長年音楽記者。初代ジャニーズ事務所担当。演歌・歌謡曲やアイドルだけでなく、井上陽水、矢沢永吉、松山千春、長渕剛、アリス、中島みゆきら数多くのミュージシャンをインタビュー。93年から日本レコード大賞審査員を務め、16年は審査委員長。テレビ朝日系「ワイド!スクランブル」「スーパーモーニング」、テレビ朝日系東北6県番組「るくなす」、福岡放送「めんたいワイド」などにコメンテーターとして出演。座右の銘は「鶏口牛後」。血液型A。


◆「われら第7世代!~演歌・歌謡曲のニューパワー~」は毎週日曜日更新です。