12日に82歳で亡くなった女優市原悦子さんの通夜に約600人、葬儀に約500人が参列した。人数はともかく、60年以上も芸能界で活躍した大女優にしては、俳優たちの姿が少なく感じた。

しかし、それには訳がある。市原さんは演技派ゆえに、共演を嫌がる人が多かったという。一緒に出ても、市原さんに食われてしまうというのが理由だった。葬儀に参列したベンガルの「市原さんは鬼気迫る演技をするから、僕らは下手な演技はできないと、いつも緊張していました」という言葉がすべてを物語っている。

さらに、50代までは、蜷川幸雄演出「近松心中物語」、井上ひさし作「雪やこんこん」などの話題の舞台に出ていたが、以降は、夫の故塩見哲さんが演出する小規模の舞台出演にシフトを移していた。塩見さんはもともと舞台監督だったが、市原さんは「塩見を演出家にしたい」と強く願い、自分が出る舞台の演出を夫に任せるようになった。そのため、大きな舞台からは遠ざかっていくようになった。

そして、母親役などでいろいろなドラマに出演し、高い評価を受けていたが、ある時期から母親役を断るようになった。「1人で生きている女性の何かを演じたい。その人たちと握手して連帯したい」との思いからだ。その結果、離婚して独身の石崎秋子を主人公にした2時間ドラマ「家政婦は見た!」に主演した。テレビ朝日土曜ワイド劇場で83年にスタートし、2回目でマークした30・9%の視聴率はワイド劇場枠の最高記録として破られていない。しかし、「家政婦が見た!」が定着するにつれ、それ以外のドラマ出演は減っていった。

だから、晩年に樹木希林さんと映画「あん」で共演したのは奇跡に近い出来事だった。ともに自由人だったが、希林さんが「柔」なら、市原さんは「剛」だった。そんな2人が共演した場面は、何とも言えない、自然で優しい空気が漂っていた。名場面と言っていいだろう。参列した俳優は少なかったけれど、私たちの記憶に、強烈な印象とともに残っている女優さんだった。【林尚之】