来年2月に真打ちに昇進する人気講談師神田松之丞(35)が、講談の大名跡である「神田伯山(はくざん)」を6代目として襲名することが話題を呼んでいる。長い間低迷していた講談界にとって、救世主のような存在だ。

講談の歴史は古く、江戸時代にさかのぼる。落語とともに庶民に人気の「話芸」だった。明治期には講談の速記本である「講談本」が立川文庫などで人気となり、現在の大手出版社「講談社」も講談本の成功が飛躍する端緒だった。しかし、そんな講談も戦後は急速に人気を失った。唯一の講談の定席だった上野の「本牧亭」も11年に閉じてしまった。講談師全体の数が激減する中、代わって、女性の講談師が増え、話題にもなったが、それが講談全体の人気を押し上げるまでには至らなかった。

しかし、07年に神田松鯉のもとに入門した松之丞が、講談界に再びブームを巻き起こした。新作も手掛けるが、松之丞が力を発揮するのは、「連続物」と言われる1つの長いストーリーを何日もかけて読むことだった。「慶安太平記」「天保水滸伝」などの連続物を聞きに、ファンは通い詰める。「連続物」という講談が長い歴史の中で育んできたものを、松之丞が新たな視点から世に出して、それが多くの人に講談の面白さを再発見するきっかけになった。

松之丞はテレビ、雑誌にも引っ張りだことあって、今月3日の京都・南座の講談会はチケット完売の人気ぶりだった。松之丞は出ないが、今月1日の東京・国立演芸場「講談まつり」も満席になるなど、ブームは講談界全体に広がっている。松之丞は学生時代、立川談志の落語を聞いて、あこがれを抱いたが、結局、講談の道を選んだ。そして、浪曲にも心が動いた時もあったという。

松之丞が強い関心を示した浪曲界にもブームの兆しがある。浪曲は明治期に始まった「浪花節」とも呼ばれる話芸で、落語、講談とともに人気があった。「王将」の村田英雄、「東京五輪音頭」の三波春夫も、実は浪曲出身だった。しかし、浪曲も戦後に低迷し、定席は都内では浅草の「木馬亭」だけになっている。

その浪曲界で、注目されているのが、玉川太福と玉川奈々福。太福は千葉大出身で、コント作家から浪曲師になった変わりダネ。古典だけでなく、新作にも取り組んでいる。奈々福も上智大出身で、出版社の編集者を経て、01年から浪曲師として初舞台を踏んだ。浪曲師として活躍する一方、プロデューサーとしてさまざまな浪曲の公演を行い、そんな活動に「伊丹十三賞」を受賞している。

落語の人気はすっかり定着しているが、講談、そして浪曲は一過性のブームに終わらず、令和の時代に人気を継続できるのか。松之丞は、講談の定席を作るという夢を持っているが、今の勢いが続くなら、夢が実現する日も来るだろう。【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)