舞台やドラマ、映画など幅広く活躍していたベテラン俳優の藤木孝さんが9月20日、都内の自宅で亡くなっているのが発見された。80歳だった。自殺とみられるという。

所属事務所によると、コロナ禍で仕事が少なくなり、外出も控え、自宅で過ごすことが多かったという。80歳の高齢だったけれど、俳優としては円熟期で、来年1月にミュージカル「パレード」に初演に続いて出演予定だったし、今年1月にも舞台「メアリー・スチュアート」で藤木さんの姿を見ていた。エリザベス女王の寵臣(ちょうしん)のタルボット役で、せりふは誰よりも明瞭、品格ある貴族を巧みに演じていた。

もともとは歌手として59年にデビューした。「24000回のキス」「踊れツイスト」などのヒットを飛ばし、「ツイスト男」とも呼ばれていた。62年に歌手から俳優に転向したけれど、その理由はミュージカル映画「ウエストサイド・ストーリー」を見て、ミュージカルをやりたいと思ったからだったという。人気絶頂の歌手からの転身は無謀な賭けとも思われたけれど、63年に大役を手にした。

日本で最初の本格的ミュージカル「マイ・フェア・レディ」にイライザに恋する若き紳士フレディ役で抜てきされた。それまで、日本では「モルガンお雪」「マダム貞奴」など帝劇ミュージカル(最初はコミック・オペラと名付けた)が上演されたが、それは本格的なミュージカルには程遠かった。「マイ・フェア・レディ」は日本人で初めて上演したブロードウェーミュージカルで、イライザに江利チエミさん、ヒギンス教授に高島忠夫さん(高嶋政宏、高嶋政伸兄弟の父)、益田喜頓さんが出演した。

そこで藤木さんは俳優としての未熟さを痛感し、文学座の研究所で演技の勉強を始め、劇作家でもあった福田恆存さんの「劇団欅」の座員となり、薫陶を受けた。その後、蜷川幸雄演出をはじめ、野田秀樹さんや三谷幸喜さんの舞台にも出演するなど、舞台には欠かせない存在になっていた。

特に藤木さんは、16年に亡くなった名優の平幹二朗さんに心酔し、平さんが主宰する「幹の会」でギリシャ悲劇とシェークスピア劇で、がっぷり四つに組んだ舞台に取り組んだ。稽古熱心で、せりふがほぼ入った頃から初日までの間に1人で100回もせりふを繰り返す自主稽古をしたという。その演技力は高く評価され、86年に菊田一夫演劇賞、03年には紀伊国屋演劇賞を受賞した。人気歌手から俳優への転身という賭けは見事な実を結んでいた。【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)