音楽プロデューサーのつんく♂(49)が、今年も母校・近畿大学の入学式のプロデュースを務めました。

 2014年度の入学式から演出を担当し、今年で5年連続。15年度の式典では、喉頭(こうとう)がんによる声帯の摘出を公表しました。つんく♂が母校の入学式を演出し続けるのは、ワケがあります。

 今月1日、入学式の演出を終えたつんく♂が報道陣の取材に応じました。質問には、パソコン(PC)のキーをたたき、無料通信アプリ「LINE(ライン)」のシステムのモニター画面に文字を表示させます。

 喉頭がんが見つかったのは14年2月。母校からの依頼を受け、初めてプロデュースを手掛けた入学式が行われる約2カ月前でした。14年度の入学式は療養中のため出席できず、ネット中継で式を見守りました。

 「やっぱ、正直、プロデュース1年目に病気を発表し、闘病しながら入学式をプロデュースしたけど、現場には行けなかったので、(この仕事は)『ご苦労さま』って1年で終わるかなって思った」

 つんく♂のそんな思いとは裏腹に、母校から当然のようにオファーがありました。

 「『翌年もお願いします!』と声をかけていただいた。その点に関しては感謝しています」

 一方で病気との闘いは続いていました。放射線と抗がん剤で声帯を温存する治療を進め、いったんは医師から「完全寛解」のお墨付きをもらい、メディアにも発表。しかし14年10月、声帯の検査でがんが見つかりました。発見後、つんく♂は声帯にできたがんを摘出する手術を受け、声を失いました。一番大事にしてきた声を捨て、生きる道を選んだつんく♂。ふさぎ込む日々…。そんなとき、母校のオファーが心の支えになりました。半年後に控えた入学式で「絶対に元気な姿を見せよう」と、家族やスタッフと「目標」を定めました。

 つんく♂は15年度の入学式のフィナーレで登場。大型モニターに文字が映し出され、声で祝辞を述べられない理由を「なぜ、今、私は声にして祝辞を読み上げることができないのか…。それは、私が声帯を摘出したからです。去年から喉の治療をしてきていましたが、結果的にがんが治りきらず、一番大事にしてきた声を捨て、生きる道を選びました。また振り出しです」。声を失ったことを初めて告白したのは、母校の入学式でした。

 告白から3年。がんを経験して、仕事への向き合い方は変わったといいます。

 「僕自身変わってないつもりでしたが、少しずつ変わってるかもしれません。病気するまでは、人生の最後とか、ずっとずっと先だと思っていたので、何にも考えていなかったけど、今は1年後、3年後、5年後と単位を短くして目標を立てるようにしている気がします」

 今年の入学式でつんく♂は、約7200人の新入生に門出を祝うメッセージを贈りました。

 「新しい何かを始めるってかなり面倒だし、勇気もいる。だからこそ、その1歩を踏み出してほしいんです。怖いです。心配です。不安です。でも、その壁をぶち破って、未来に羽ばたいてください」

 「そうです! Free Your Imagination(想像力を解き放て) 今までの自分の常識ではない新しい何かに一緒にチャレンジしましょうよ!」

 つんく♂の生き様にも重なる力強いメッセージでした。

 「僕も毎年みなさんと、こうやって話すことは自分への戒めとしながら、同時にたくさんの刺激をもらえていることに感謝しております」

 その表情はとても穏やかでした。つんく♂は今、食道の一部を振動させて発声する食道発声法に取り組んでいます。

【松浦隆司】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「ナニワのベテラン走る~ミナミヘキタヘ」)