抜群の歌唱力で数々のヒットソングを生み出してきた歌手岩崎宏美(62)が、昨年4月にデビュー45周年を迎えた。コロナ禍で記念ツアーは延期や中止となったが、歌への思いを再認識し、忘れられない1年になったという。歌で「元気になってもらいたい」。3月から始まる予定のツアーに向け、すでに力強く前を向いている。

★3人姉妹次女

昨年4月25日、デビュー45周年を迎えた。

「人が思うほど長くはなかったかも(笑い)。個人、歌い手としても、いろんなことがあったけど、なんかすべて意味があったのかなと思います。面白い45年間でした。デビューしたてのころは、譜面も何も読めなかった。本当に好きなことを仕事に、45年も歌えて幸せだったと思います」

3人姉妹の次女として生まれた。岩崎家は、3人とも小学2年で合唱団に入るほど、音楽一家だった。

「中学に入学した頃、森昌子さんが、中学生でデビューされたのを見て、同い年だったので『えっ、子どもでも歌手になれるんだ』と思いました。ずっと歌を習っていて、興味はすごくあったんだけど、どうやったら芸能界に入るかわからなかった。それでスター誕生(日本テレビ系「スター誕生!」)が始まり、中学3年の時に、オーディション番組を受けたんです」

同番組に挑戦し、高校1年の時、決戦大会で8社がプラカードを挙げ、デビューをつかみ取った。

「番組の収録後、手を挙げてくださった方と、いきなり面接をしました。どこの誰かも全然分からない状態で、『ソニーの○○です』とか言われて、黙って聞いていただけなんですけど、なんかよく分からなかった(笑い)」

「二重唱(デュエット)」でデビュー。2作目の「ロマンス」が大ヒットし、紅白歌合戦のトップバッターや、日本レコード大賞新人賞など、一気にスターへの階段を駆け上がった。

「レコード会社と、事務所に力があったんだなって思います。『君のデビュー曲は、阿久悠っていう人と、筒美京平っていう人が書くんだよ』って言われた時に、『私は運がついている』って思いました」

★良さは中低音

昨年10月に亡くなった希代のヒットメーカー筒美さんには、約80曲作曲してもらった。数々の名曲を手掛けた作曲家筒美さんは、デビュー時から岩崎の強みを見抜いていた。今ではその言葉が「一番の宝」になっている。

「デビュー曲のレコーディングの時に『あなたはこれから歌い手になるにあたって、みんなに褒められるのは高音かもしれないけど、あなたの良さは中低音だからそれを忘れないでね』って言われたんです。その時は『中低音ってことは、高い声じゃないんだな?』くらいにしか理解していなかったんですけど、低い声にどんどん厚みが出てきて、今は、この声が好きです。デビュー当時から、その良さをちゃんと、理解してくれる人がいたっていうことがうれしいですよね」

筒美さんとの思い出を聞くと、懐かしい表情を浮かべて話した。

「先生との思い出は、たくさんありますよ。いつもレコーディングには来てくださっていたし、すごくおしゃれでした。ロサンゼルスで、先生の曲でレコーディングした時に、同じスタジオに一緒に入って、先生のピアノで私も歌ったんですよ。すごく楽しかったし、途中でワインを飲みながら歌った『Wishes』は、忘れられないです」

★のど2度手術

これまで2度、のどを手術し、鬱(うつ)も経験。手術後には、1カ月沈黙療法を行った。

「手術して5日後くらいに、『家のお花にお水だけあげに、1回帰っていいですか?』と聞くと、外出許可が出ました。病院からタクシーに乗って、住所を言ったときの声が、小学生の時のドッジボールをして、騒いでいる時のような高い声だったんです。その後、ずっと(うれしくて)涙が止まりませんでした」

つらいこともあった一方で突如、タレントのコロッケ(60)の、ものまねの“標的”にもなった。

「コロッケさんが初めて私の顔(まね)をやる時も、家で見ていました(笑い)。『あっ、この人すごい上手なんだよね』って言っていたら、自分で(笑い)。なんとなく、ちょっと似ているような気もあったし。『でも私は、あんなにあご出していない!』とも思って、その後、極力あの歌(シンデレラ・ハネムーン)の時は、あごを引いて歌うようにしています(笑い)」

★5年は頑張る

45年間、続けられた秘訣(ひけつ)を聞くと、予想していなかった答えが返ってきた。

「だって毎回同じようには歌えないから、面白いですよ。同じものを毎日食べているわけじゃないでしょ? 同じ歌を歌っていても、同じように歌えないのと一緒で、『あ、今日はこんなことを思って歌えた』『このくらい集中できた』とか、毎回違うので。だからこそ、続けられました」

コロナ禍で、予定していた記念コンサートは延期や中止となった。

「より一層、忘れられない1年でした。昨年の4月25日に、全てのことに焦点を合わせてみんなで頑張ってきたところが、全部ずれおちました。でも『まだ私って、こんなに歌いたいって自分の中からあふれ出てくるんだ』っていうことを認識できたことは、幸せだったと思います」

3月からは、コンサートツアーが始まる予定だ。

「アルバムの中からたくさん歌います。私のコンサートに来てくださった方は本当にみんなが、元気になって、あったかい気持ちになってもらいたい。私もそういう思いで歌っています。私たちはみんなを笑顔にするための仕事です。普段は大変だけど、『今日来て、本当によかったな』とか、私がいつも、さだまさしさんのコンサート見た後に思うような気持ちに(笑い)」

最後に、今後の目標を聞くと「わからないよねー」と笑いながら、続けた。

「ただ、私の尊敬する、森山良子さんとか、由紀さおりさんとか、みなさん10歳くらい年上なのに、まだ現役バリバリに歌っていらっしゃるので、62歳くらいでへこたれていると、『ちょっと、あんたなに言ってんのよ!』って言われそうだから、せっかく45周年を迎えたので、目標はあと5年は頑張りたいっていうのはありますよね。50周年!」【佐藤勝亮】

▼デビュー当時から親交のある歌手さだまさし(68)

デビューの頃から宏美を知っています。歌はうまいし、人柄は最高だし、江戸っ子で下町のおきゃんですからさっぱりと男前な性格が魅力です。何より音楽に対して真面目なところが僕は大好きです。プロの歌手として一番大切な「歌」への誠実さが素晴らしい。宏美の本当の歌手人生はまだまだこれからです。一緒に頑張ろうぜ。

◆岩崎宏美(いわさき・ひろみ)

1958年(昭33)11月12日、東京都生まれ。75年4月25日「天まで響け!!岩崎宏美」のキャッチフレーズで「二重唱(デュエット)」でデビュー。2作目の「ロマンス」で数々の新人賞を受賞。「センチメンタル」「すみれ色の涙」「万華鏡」「聖母たちのララバイ」など数多くのヒット曲を歌う。「NHK紅白歌合戦」には75年以降、計14回出場。20年4月にデビュー45周年を迎え、今年3月からコンサートツアーを開始予定。血液型B。

◆「岩崎宏美コンサートツアー~太陽が笑ってる~」

今年3月6日、広島「呉信用金庫ホール」で初日、4月17日は東京「ルネこだいら」で開催される。昨年12月発売のベストアルバム収録曲から多く披露される予定。

(2021年2月7日本紙掲載)