漫才コンビ、今いくよ・くるよの今いくよさん(本名・里谷正子=さとや・まさこ)が28日午後5時58分、胃がんのため、大阪府内の病院で亡くなっていた。67歳だった。昨年9月に胃がんが判明し、同11月に舞台復帰。今月11日まで舞台に出演していた。29日には京都市内で通夜が行われ、相方の今くるよが涙声で「日本一の相方や」と叫んだ。葬儀・告別式は今日30日、密葬で行われる。

 通夜に参列後、取材に応じたくるよが、いくよさんが亡くなるまでの様子を明かした。

 「亡くなる3日前(25日)の朝、看護師さんが名前を確認したら、いくよちゃん『里谷正子 28歳』って! 看護師さんも大笑いして、いくよちゃんうれしそうにしてはった。漫才師やね」

 いくよさんは、20日に自宅で腹痛を訴えたという。府内の病院で検査を受け、そのまま入院。病床でもギャグを忘れず、周囲に心配をかけまいとしていた。

 だが、26日から意識が薄れ、くるよが足をマッサージしても反応なし。それでも、「さっきまで元気やった。絶対治る」と信じたが、かなわなかった。最期はくるよらがみとった。

 いくよさんは昨年9月7日、体調不良を訴え、検査の結果「進行性の胃がん」と判明。手術はせず、抗がん剤治療を続けた。親しい関係者によると「年を越すのは厳しい」との見立てもあったが、約3カ月の休養を経て同11月、よしもと祇園花月で復帰。本拠地の大阪・なんばグランド花月には、今月11日まで出演。「病院でつらいのは、素顔を見せること」と、厚化粧を引き合いに笑わせてもいた。

 楽屋でも体調不安は一切見せなかった。一方で、近しい後輩芸人には「抗がん剤な、6回やらなあかん。もう1回あんねん。しんどいわ」と漏らしていた。

 70年に今喜多代に入門し、京都明徳高の同級生で同じソフトボール部だったくるよとコンビ結成。73年に初舞台を踏み、下積みを経て、漫才ブームの立役者となった。いくよさんは4番センターでキャプテン。「私、ピッチャーでエース。くるよちゃん、キャッチャーでロース」。高校時代を表したネタは有名だ。

 2人は舞台後の行動、私生活でもほぼ一緒。「仕事も取材もコンビで受ける」姿勢を貫いた。09年にはくるよが心臓発作で倒れたが、いくよさんの闘病中同様に単独の仕事を受けなかった。

 くるよは、今後について「まだ考えられない。女優か歌手になるんやったら、また言うわ」と、いくよさんにならい、笑いをまじえた。心残りは再来年にも予定していた45周年公演が実現しなかったこと。「(45周年まで)あとちょっと、頑張ろうと言ってたのに」と無念さも口にした。

 ひつぎの中のいくよさんは担当メークが化粧をし、トレードマークのつけまつげも着けた。この日も「漫才師・今いくよ」だった。くるよは「日本一の相方や。私は大幸せや。天国にまっすぐ行きよし」と、京都弁で語りかけた。【村上久美子】

 ◆今いくよ・くるよ いくよさんは本名・里谷正子(さとや・まさこ)。1947年(昭22)12月3日、京都市生まれ。高校卒業後、会社勤めを経て70年、2人で今喜多代に弟子入り。73年に初舞台。やせすぎと厚化粧のいくよさんがハスキーな声で怒り、ぽっちゃり体形のくるよは、おなかをポンとたたくスタイルで人気を博した。互いのルックス、ファッションなどを突っ込んだが、他者の悪口をネタにしないのが信条。「上方漫才大賞」(84年)「上方お笑い大賞」(86年)「花王名人大賞」(88年)など受賞多数。