俳優、グルメリポーターとして活躍した阿藤快(あとう・かい)さん(本名・公一=こういち)が、東京都新宿区の自宅で大動脈破裂胸腔(きょうくう)内出血で死去していたことが16日、分かった。所属事務所が発表した。69歳の誕生日だった14日ごろ亡くなったとみられる。個性的脇役として存在感を発揮し、旅番組の軽快なトークが人気だった。葬儀・告別式は、故郷の神奈川県小田原市で近親者のみで執り行う。

 ほんの数日前まで元気だった阿藤さんの急死だった。15日午後、妹と事務所関係者が見つけた阿藤さんは、布団の中で眠るように亡くなっていた。事務所スタッフによると「安らかな静かなお顔をして、眠った(ような)お顔をしていた」という。誕生日だった14日に亡くなったとみられており、16日に検視を受け、遺体は同日に故郷の小田原市に戻った。

 多数の分野で活躍する阿藤さんは多忙を極めていた。ドラマ、バラエティー番組の収録などと並行し、映画の舞台あいさつ、今月1日までは出演舞台で全国を回っていた。事務所関係者によると、ここ最近は背中の痛みを訴えていたという。8日にマッサージなどで体のケアをし、阿藤さんは「元気になったよ」などと笑顔を見せた。翌9日は都内で米の品評会に出席した。しかし、背中の痛みは、心臓をはじめ内臓疾患の前兆であるケースもある。体調の悪化が少しずつ、背中の痛みという形で表に出ていた可能性もある。

 10~14日までは阿藤さんにとって久々の連休だったため、事務所関係者が病院に行ってくださいね、と声をかけたという。しかし、血圧が少し高めという以外は持病もなく体調も悪くないため「多分、病院には行っていないのでは」(同関係者)ということだった。

 14日には阿藤さんから菓子が届いたという。発送伝票は前日13日。13日までは阿藤さんは元気だったと推測される。しかし、14日の阿藤さんの誕生日、お祝いメールに返信はなかったため、妹と事務所関係者が夜になって自宅へ向かった。応答はなかったが、出掛けていると判断し、家の中には入らなかったという。

 15日には北海道で仕事が入っていたが、連絡が取れない状態が続いていたため、再び自宅へ向かった。異変を感じ警察に連絡し、午後2時すぎ警察官と一緒に部屋に入ったところ、亡くなっている阿藤さんを見つけた。救急車を呼んだが、すでに亡くなっていた。

 阿藤さんは大学卒業後、俳優座で美術を担当した後、俳優デビューした。三枚目からシリアスな役までこなせる脇役として活躍。旅番組の旅人、グルメ番組のリポーターとしても人気で、場を和ませようとして出る「なんだかなあ」の口癖は、親しみやすい阿藤さんの人柄をうかがわせた。お茶の間でも、仕事の現場でも、世代、性別を問わず慕われていた。早すぎる死を惜しむ声は多い。

 ◆阿藤快(あとう・かい)本名・阿藤公一。1946年(昭21)11月14日、神奈川県小田原市生まれ。東京都立大法学部卒。俳優座養成所を経て、70年に舞台「はんらん狂騒曲」でデビュー。80年、黒沢明監督の映画「影武者」で注目される。88年からのフジテレビ系ドラマ「教師びんびん物語」シリーズで幅広い人気を得た。ほかに映画「野性の証明」「野獣死すべし」など。日本テレビ系「ぶらり途中下車の旅」「遠くへ行きたい」などの旅番組や、グルメ番組、バラエティーでも活躍。01年海から快に改名。183センチ、82キロ。

 ◆大動脈破裂 大動脈を覆う3層の壁のうち、内側の内膜に亀裂が入ることで解離を起こし、そこに血液が流入することで最終的に破裂が起こる。急性と慢性があり、急性の場合は症状が急に進展し、死に至る危険性が高いという。世田谷井上病院の井上毅一理事長は「69歳だと動脈硬化が起こっていても不思議ではない。胸や背中、腰が痛いと訴えていたのであれば、それも無関係ではないはず」と解説した。