演歌歌手山川豊(57)が15日、東京・千代田区の喫茶店「イーグル」で新曲「再愛/蜃気楼の町から」(16日発売)の発売記念イベントを行った。

 歌手を志して19歳で上京。レコード会社の東芝EMI(現ユニバーサルミュージック)で約2年間、アルバイトをしながらデビューを夢見ていた。当時から、会社の近くにある同店の食事に健康面を支えてもらったという。「カレーピラフ、ホットサンド、バナナジュースの3つが定番。デビュー後も、ここで何度も取材を受けたんだ」と懐かしそうに振り返った。

 今年はデビュー35周年の節目。この日は、初心に戻るために同店の一日店長に就任した。「自分の35周年はここからスタートしましたから」。

 81年に「函館本線」でデビューした時は22歳。同じ新人だった近藤真彦らはまだ10代だった。「山川おじさんと呼ばれていました」と打ち明けた。

 86年には念願だったNHK紅白歌合戦に初出場。だが、その後の数年は「スランプだった」という。めまいがして不眠にも悩まされた。「これじゃいけない」と始めたのがボクシング。「くたくたになって家に帰るとコロッと寝ることができた」。やがてプロのライセンスを取得。1試合だけやってやめたという。

 歌手としての“天国と地獄”を味わい、多くのファンに支えられて今があると痛感している。「マイナス28度の北海道のキャンペーンで、コートも着ず、飛び込みでキャバレーを回った。お客さんは3人とか4人。でも、そのお客さんに3枚のレコードを買っていただけた。その積み重ねの35年なんです」。

 今年は05年以来、11年ぶりの紅白出場を目指すと宣言した。「それがファンへの恩返しに」。そのためには、苦手の飛行機にも乗り、47都道府県を回って100回のキャンペーンをするつもりだ。「あの舞台に再び立ちたいからね」。

 歌手としてスタートを切った地で35年目の飛躍を誓った。