落語家桂三四郎(34)が、師匠の6代桂文枝(73)と「上方落語 初!桂文枝・桂三四郎 親子会」(10月14日、東京・かめありリリオホール)に出演する。

 第一経済大卒業時に文枝のCDを聞いて感激。弟子入り志願して、3次にわたる面接を受けて許され、2004年4月1日付で新卒で弟子入り。同11日には「三四郎」の名前をもらった。「同級生と漫才をやろうと思っていたけど、そいつが結婚して1人に。ピン芸人ブームの時だったけど、父親が送ってくれた村上龍さんの『13歳のハローワーク』を読んで、落語家というジャンルに気がついた。それまで落語を聞いたことがなくて、昔の話というイメージしかなかった。だけど、師匠の新作落語を聞いて、自分で作っていいんだ、自分の作品を作りたい、この人みたいになりたい、と思いました」と振り返る。

 落語家になろうと決意してから、名前をもらうまで、わずか2カ月だった。「僕の第一印象の雰囲気がよかったんじゃないでしょうか(笑い)。弟弟子は半年くらいは本名のままでしたから。タイミングがよかったんですね」。

 20人いる文枝の弟子の中で13番目。師匠の自宅近くのマンションに兄弟子と住んで、通う生活が始まった。「チャランポランでしたからね。学生時代もバイトも満足に勤まらないありさまでしたから。20人の弟子の中で、一番迷惑をかけたのは自分です」と変なところで胸を張る(笑い)。

 師匠の車を運転して、わずか2カ月で、3回ぶつけた。酒、たばこ、女性は禁止の中、師匠の目を盗んで飲みに行ってはしくじった。「罰で丸刈りにするんですけど、ちょっと伸びたらしくじって、新弟子時代は伸びる暇がなくて、ずっと丸刈りでした(笑い)」。 朝9時に師匠を迎えに行くので、遅刻をしないように朝7時まで飲んだ。「ゲロまみれで酒臭くて、兄弟子にしかられて、その場でかえされました」。東京から朝イチで福井に移動するときも寝坊。時間ギリギリに起きた文枝は、自分でタクシーを拾い、チケットと弁当を買って新幹線に飛び乗った。「芸人になった時から売れっ子ですから、新幹線のチケット買うの初体験だったんですよ。本当に申し訳ない。クビにならなかったのが不思議。本当に、うちの師匠は愛情が深い」と憎めない顔で笑う。

 その不肖の弟子が、初めて師匠と組む親子会。2席ずつ演じる。「まさか、あれほど迷惑をかけた自分と一緒にやっていただけるなんて。大変ありがたいですけど、師匠は芸には厳しい方。弟子に花を持たせるなんて甘いことはしてくれない。違いを見せつけられるでしょう。胸を借りるなんて言える立場じゃない、ただ全力でやるだけです」。 新作に古典と地道に力を蓄え、東京へ出て来て6年。勝負の時が来た。