プレーバック日刊スポーツ! 過去の10月27日付紙面を振り返ります。2012年の芸能面(東京版)は大ヒット曲「セクシャルバイオレットNo・1」を歌った桑名正博さん死去のニュースでした。

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 歌手桑名正博さんが26日午前11時44分、心不全のため大阪市内の病院で死去した。59歳だった。7月15日未明に同市内の自宅で倒れ、脳幹出血で意識不明の状態が続き、入院から104日目に息を引き取った。夜には、桑名さんの遺体が安置された寺に歌手仲間の内田裕也(72)が駆けつけた。79年にリリースしたセクシャルバイオレットNo・1は化粧品のCMにも使われ、大ヒットした。今年がデビュー40周年だった。

 不屈のロック魂が起こした奇跡だった。入院当初、家族には「余命は最大3日」と告げられていたが、医師も「原因が分からない」と驚く生命力を発揮した。だが、長男美勇士(31)によると、体重は減り、徐々に心臓が衰弱。この日朝、医師から栄子夫人に「血圧が急に下がった。覚悟をしてほしい」と連絡があり、親族が集まるよう告げられた。桑名さんは入院104日目、夫人にみとられ息を引き取った。

 美勇士によると、医師から連絡を受け、数時間後に亡くなったといい「ここ最近は高額医療で、家族としてはいつまで(治療が)続くか分からなくて不安でした。おやじも分かっていたんでしょう」と、本音を吐露した。美勇士の母で桑名さんの前妻の歌手アン・ルイスに連絡すると、アンは「10秒間は沈黙したまま絶句していた」という。

 遺体は午後、桑名家が檀家(だんか)である大阪市港区内の寺へ運ばれ、栄子夫人、妹晴子ら親族と、桑名さんの幼なじみらが集まり、密葬が行われた。通夜は29日に執り行われ、30日の葬儀・告別式後には「御堂筋桑名パレード」として、桑名さんが愛した大阪の街を斎場まで霊きゅう車を走らせる。

 桑名さんが倒れたのは、7月15日未明だった。香川県小豆島でのライブを終えて同14日に自宅に戻り、明け方まで打ち合わせをしていたところ、激しい頭痛に見舞われた。救急車で大阪市内の病院に運ばれた際は血圧が260まで上昇し、呼吸が停止した状態。人工呼吸器で呼吸は戻ったが、意識不明の状態が続いた。

 病室では桑名さんの曲を流し、親友らも訪れた。7月17日には歌手内田裕也が見舞いに訪れ、「君の元気なステージでの姿をイメージしています。頑張って下さい。スタンドアップ、桑名!」と激励した。

 桑名さんは、ロックもバラードも歌えるミュージシャンとして高い評価を受けてきた。95年阪神・淡路大震災では被災地でボランティア活動を展開。00年には家業の貿易会社社長に就任。自主レーベルからCDも発売。若手や後輩の育成にも熱心で、障害者支援などにも取り組んでいた。

 今年はデビュー40周年。桑名さんは「今年は40回。来年は還暦だから60回。合計100回のライブをやる」と宣言していた。一方で普段から血圧が高めで、片頭痛の持病もあった。昨年から今年にかけて原田芳雄さんや安岡力也さんが亡くなり、酒が入ると、「人生長くない。生きてるうちにやりたいこと、やらな損や」と、涙を見せることもあった。バラード曲「月のあかり」は、関西では伝説的な曲として知られる。

※記録と表記は当時のもの