今月16日に急性心不全のため63歳で死去した歌手西城秀樹さんの告別式が26日、東京・港区の青山葬儀所で営まれた。

 司会の徳光和夫(77)から紹介された、かつて西城さんとともに「新ご三家」と呼ばれた郷ひろみ(62)が、野口五郎(62)の後に続いて弔辞を読んだ。

 これが僕から…秀樹に送る最初で…最後の手紙になります。弔辞。秀樹、五郎、そして僕、新ご三家と呼ばれて、気がついたら45年以上の月日が流れていました。秀樹、五郎は僕より先にデビューしていて、何も分からず、芸能界に飛び込んだ僕は、2人の背中を見て、歩んでいくことはやっとでした。あのころ、毎日のように音楽番組があって、2人が当たり前のようにそばにいて、でも、僕の中では2人のことをライバルと思ったことは1度もなく、同じ世代を駆け抜けていく同志という思いでした。

 1978年、日本レコード大賞で秀樹、五郎の2人が金賞を受賞し、残念ながら僕1人だけ、名前を呼ばれることはありませんでした。でも、その時の思いが、自身のバネになって、翌年、日本レコード大賞大衆賞「あなたがいたからぼくがいた」で受賞することができました。

 人は頑張れば、努力すれば、必ずかなうんだ。それを教えてくれたのは、2人の存在です。ある時、秀樹が40度近い高熱が出たにもかかわらず、ステージを務め、最後は倒れるように歌を歌い上げた。本当にファンの人のことを、まず第一に考える、自分の人生をダイナミックに生きる人なんだなと痛感しました。

 そして今から2年前。2016年。ある雑誌の対談で、本当に久しぶりに秀樹、五郎、僕の新ご三家が顔を合わせました。秀樹は、大病を患ったにもかかわらず、力を振り絞って、そこに駆けつけ、そして、1つ1つの言葉を大切に伝えてくれる。僕はとても心打たれました。

 残念ながら、それが秀樹を見た…最後になってしまいました。あの対談の中で、ここまで歌を続けてきたのだから、感謝って気持ちを持ち、歌い続けていこう。そう締めくくったにもかかわらず、秀樹は天国に逝ってしまいました。本当に残念です。日本中の人々から愛された秀樹の歌、そして笑顔、これはこれからも人々の心の中に、しっかりと刻まれていくことでしょう。

 僕は、秀樹のことを兄貴という風に思っていました。というか、まず最初にデビューした五郎が長男で、秀樹が次男、僕が三男。その思いは今でも変わっていません。これからも秀樹の背中を見て、心の中でそう思って、ずっと歌を歌い続けていきたいと思います。今まで本当にありがとう。そして、安らかに眠ってください。

 郷は、言葉を1つ1つ、思い出をかみしめるようにつづって、最後の別れをしていた。