ダチョウ倶楽部の肥後克広(63)寺門ジモン(63)が明日25日、東京国際フォーラムホールAで「ダチョウ倶楽部40周年感謝祭 みんな仲良くくるりんパーティー!~来るなよ、来るなよ、絶対来てヨォぉぉ~」を開催する。22年5月に61歳で亡くなった上島竜兵さんを含め、ダチョウ倶楽部に深く関わってきた人たちに思いをはせつつ、迎えた節目に感謝を示した。【川田和博】
★人気MC&ゲスト
イベントの開催は1月末に発表。約5000人規模の会場だが、チケットはすぐさま完売。MCは有吉弘行(51)劇団ひとり(49)野呂佳代(42)の3人が担当する。
寺門 僕らが回してもよかったんだけど、トイレに行けなくなったりとかね。じじいだし、俺たち(笑い)。
ゲストには土田晃之(53)出川哲朗(62)らに加え江頭2:50(60)、爆笑問題ら、そうそうたるメンバーが名を連ねる。
寺門 呼びたい人はまだまだいっぱいいる。たまたまスケジュール調整がついた人だけど、映像的には奇跡だし、お客さんはお得だと思う。
肥後 僕らの周りにいてくれる芸人さんが集まるわけですが、感謝しかありませんね。
★きっかけ渡辺正行
中でも、渡辺正行(70)をキーパーソンとした。86年、渡辺主催の「ラ・ママ新人コント大会」に出演した。
肥後 渡辺さんから「出ろ」と言われたけど、右から左に流していたんです。それで、たまたま歌舞伎町で渡辺さんに会って「どうなった?」って。記憶していないから「何がですか?」となって、最後は「お前一人でも出ろ」と言われて。
寺門 それで電話がつながったのが俺と竜ちゃん(上島竜兵さん)と南部(虎弾)さん。だから、渡辺さんがいなかったらダチョウ倶楽部は生まれなかったんです。
その後、横山やすしさん司会のテレビ朝日系「ザ・テレビ演芸」で、10週連続で勝ち抜いた。
肥後 漫才師の横山やすしさんからみれば僕らはちょっと異端児で、当初は風当たりが強かった。でも4、5週目あたりから「お前ら、やるやないか!」となって、後半は「あと何週や、頑張れ!」って。
寺門 (審査員の)糸井重里さんが「ダチョウ倶楽部は江川(卓)だ」と言ってくれて流れが変わった。
★やっさんの頭に…
10週勝ち抜くと、やすしさんが焼き肉をごちそうしてくれた。
寺門 その席上で大失敗を…。ビシッと決まった頭に肉をこぼしてしまった。でも「なんやお前、かけよって。わしを焼いて食うつもりか」とギャグで返してくれた。
肥後 タクシーに乗ったと思ったら箱乗りでね。人が見ているときは芸人横山やすしを貫いていた。
片岡鶴太郎(71)軍団に入り、テレビでの露出が増えた。
肥後 たけしさんがたけし軍団を作ったように鶴太郎さんも軍団を作って、そこにダチョウ倶楽部が入った。
寺門 まだデビューして間もないのに、鶴太郎さんのバーターでレギュラーが週に7、8本あった。
その頃、日本テレビ系「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」にも出演した。
肥後 身内ネタだった「聞いてないよォ!」が放送に乗って、それを見た鶴太郎さんが「あれは面白いからやり続けろ」って。最初は滑り倒しました(笑い)。
寺門 でも、そのうち言葉が独り歩きを始めて。映画の字幕で使われて、もしかしたら…って。
肥後 スポーツ新聞の見出しとか、通販番組でも使われるようになった。
93年の新語・流行語大賞の大衆語部門で銀賞を受賞。その裏には、鶴太郎の助言があったのだ。
★南部虎弾さんと3人
ダチョウ倶楽部は南部さんを含む4人で結成。だが、南部さんは87年に脱退した。
肥後 全然、覚えていないんだよね。南部さんがやめたのって。
寺門 見るからにボケの格好で、突然「俺はツッコミになる」とか言い出して。事務所も「3人とちょっと空気が違う」というのもあって、自然と3人に分け始めた。
肥後 南部さんの中には、人を笑わすより、驚かせたいというのがあるんです。だから、電撃ネットワークを見た時、本当にやりたいことをやっているなと思いましたしね。
寺門 南部さんの脱退は自然現象。春から夏、夏から秋に季節が移ろうようなもので、もめごとではなかった。南部さんにはやりたいことをやれる喜びがあって、「ダチョウはダチョウでやってよ」って感じが良かったのかもしれない。
志村けんさんからは“マンネリの美学”を学んだ。
肥後 志村さんのおかげで子供たちに浸透していった。しかも3世代!
寺門 志村さんのコント自体が“マンネリの美学”ですが、結局志村さんからバカ殿に呼んでもらったのも、きっかけは竜ちゃんですから。
肥後 「お笑いウルトラクイズ」で、たけしさんが井手(らっきょ)さんに「最後ケツ出して終わろう」というのを聞いていて、「リーダー、井手さんより先にお尻出していいかな」って。師弟関係の会話だから、本来ならご法度なんです。だから止めたけどいっちゃった。しかも、全裸で。
寺門 あれは、竜ちゃんの才能です。
肥後 でも、それをたけしさんが面白がってくれて、その後、いろいろやらせてくれたんです。
★本音だから面白い
寺門と上島さんはダチョウ倶楽部結成前からの付き合いだった。
寺門 若い頃「寺門みたいに人と話ができないし、なじんだりできない。お笑いも出たくない」って。痛いのも嫌いで、本来はバンジージャンプとか嫌いなんです。でも、だから面白い。俺とかリーダーなら耐えられちゃうから絵にならない。でもあいつは本音。それが面白かった。表で見るよりも体はボロボロでしたよ。
肥後 まあ、飲みすぎなのか、加齢なのか、その原因は分かんないけどね。でも、上島は天才です。人に好かれる天才。笑いにも好かれていました。
イベントのポスターには上島さんも描かれている。25日のステージはもちろん、ダチョウ倶楽部にはいつも上島さんもいる。
▼ダチョウ倶楽部を32年間支える重成静香マネジャー
「お笑いウルトラクイズ」を経験して、芸人さん、スタッフさんから、たくさん学ぶことができました。一番大きな現場は「24時間テレビ」のマラソンでした。ダチョウ倶楽部と一緒に仕事ができて、本当に良かった。メンバーの家族も含めてお付き合いさせていただき、本当にみんな優しい人たちばかりで、周りの人に恵まれました。40周年イベントに出演していただくゲストの方々や関係者も含め、本当に感謝しています。
◆ダチョウ倶楽部(くらぶ)
1985年(昭60)に肥後克広、寺門ジモン、上島竜兵さん、南部寅太さん(電撃ネットワーク南部虎弾)で結成。87年リーダーだった南部さんが脱退し、肥後がリーダーに。93年の新語・流行語大賞の大衆語部門で「聞いてないよォ」が銀賞を受賞。「熱湯風呂」「熱々おでん」のリアクション芸や「どうぞどうぞ」「ヤー!」「押すなよ! 絶対に押すなよ!」など大量のギャグを生み出す。









