劇団四季の元代表で、「キャッツ」「ライオンキング」のミュージカルを手掛けた演出家の浅利慶太(あさり・けいた)さんが13日午後5時33分、悪性リンパ腫のため都内の病院で亡くなった。85歳だった。

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 演出家の浅利さんには10人で始めた劇団四季を、劇団員1000人を超える日本最大の劇団に育てた「劇団代表」の顔があった。すごさを感じたのは、83年「キャッツ」を初演した時。高額の上演権料のため、ロングランが必須条件だが日本の劇場の基本は1カ月公演。長期に貸し出す劇場がなかった。その時「劇場を造ればいい」と西新宿の都有地を借り、「キャッツ・シアター」建設。1年のロングランを果たした。8億円の先行投資に「大丈夫ですか」と聞くと、「失敗したら、劇団は解散。自分の生命保険の金額も計算したよ」。カリスマ企業家でもあった。

 そんな浅利さんも「演出に専念したい」と4年前に四季を去り、個人事務所を設立。「オンディーヌ」「夢から醒めた夢」など、愛した作品の上演を続けた。「質の高い舞台を上演すれば、観客がついてくる。作品を正確に舞台にかけるというのが演出家の仕事で、観客が気持ち良く楽しめるようにする。それが演劇の基本です」。演劇を愛した人だった。

 演出家として俳優に厳しく、劇団代表として社員を叱責(しっせき)することもあったが、取材記者を大切にした。今年4月、最後の演出作「ミュージカル李香蘭」を見に行った時、ロビーに浅利さんがいた。いつも笑顔で握手し「奥さんは元気か」と、家族のことを気にかけてくれた。しかし、この時は車いすに座り、ただうなずくだけで、握手した手にも力がなかった。カリスマの老いを初めて感じた。

 人脈から保守的な人と見られがちだが、日本の戦争責任に取り組み、昭和の歴史を描いた「李香蘭」上演にこだわった。「この芝居を見て『2度と戦争は起こしてはいけない』と思ってほしい」。戦争を知る人の最後のメッセージだった。【林尚之】