3日付の芸能面「日曜日のヒーロー」で、“京さま”こと京本政樹(60)をインタビューした。通常の取材は写真撮影込みで1時間程度、時間の都合で40分ほどで済ませなければいけないこともある。
それが京さまの場合は、まさかの2時間半。そのサービス精神と爆笑トークの連続、その後に予定がなかったことで異例の長さになった。ICレコーダーから話を書き起こすのも一苦労だったが、その40周年に及ぶ長い芸能生活のさまざまなエピソードを堪能させてもらった。
紙面では行数が限られて書けなかったが、もしかしたらジャニーズからデビューしたかもしれない話が秀逸だった。中学2年の時に社会科見学の時に撮った写真を、知り合いがジャニーズに送ったという。
まだ、ケータイ、スマホのない時代。大阪の京さまの実家の黒い電話がなった。
「はい」
「ジャニーだけど」
「ジャニー? 誰?」
「フォーリーブス知ってる? 大阪フェスティバルホールに来ない」
ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長(87)からの電話だった。
京さまは母親と一緒に、当時のジャニーズのコンサートを見に行った。フォーリーブス、郷ひろみら、当時のジャニーズのスターたちのコンサートを見た後に、誘われてみんなで中華料理店に行ったという。
「まだ40代のジャニーさんがオシャレでかっこよかった。黒いスリーピースが、パンタロンでロンドンブーツを履いていた。髪の毛はアフロヘアだった」
その後は、春休み、夏休みの度に上京して、ジャニーズの合宿所へ。75年にジャニーズ・ジュニア・スペシャルがレコードデビューした時は、強く誘われたが高校ヘ進んでバンド活動にはまっていた京さまは断った。そしてシンガー・ソングライターを目指しながら俳優としてデビュー、若き時代劇スターの道を歩むことになる。
京さまがジャニーズでのデビューを断ってから31年後。再び、ジャニー社長から電話がかかってきた。
「ジャニーだけど」
「よく分かりましたね」
「写真を見たんだけど」
ハワイの行きつけの和食店で撮影した息子の写真を見た、ジャニー社長からのスカウトだった。
06年に11歳でジャニーズ事務所に入所した息子の京本大我(24)は、現在はSixTONESのメンバーとして活躍する。13、14年の「滝沢歌舞伎」では父子共演も果たした。
京さまは「僕は現代劇じゃミステリアスな役ばっかりで、どんな役でも独身だったんだけどね。今じゃ、ジャニーズファンの間じゃ“大我パパ”」と笑う。「縁があるんですね。まさか、うちの息子がスカウトされて、頑張ることになるとはね。目の前のことから逃げずに、どういう自分を作り出していくのか常に考えてほしい」と息子の成長を見守る。
「年相応に老けていかないから悩むこともあった」という京さま。どんなきれいなおじいさんになってくれるのか。それも、また楽しみだ。