テレビ東京系「TVチャンピオン」は、特別な知識や技能を持った素人が競う番組として平成に一世を風靡(ふうび)した。初代ディレクター、プロデューサーを歴任したテレビ東京制作多田暁社長(62)は平成の間に、作り手の環境は大きく変わったと語った。

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1992年(平4)に放送を開始した「TVチャンピオン」は約14年間続いた。技術を披露する「職人モノ」、体を使う「体力体質モノ」、知識を問う「カルトモノ」が3本柱だ。

多田氏 最初のキャッチフレーズが「誰でも一番になれる!」だったんです。そこをフューチャーして素人さんのすごさを出せた。当時、腕相撲の番組はあったが、スポーツじゃないものに焦点を当てたのは初めてだったと思う。そこが受けたんじゃないかな。

「手先が器用」「肺活量」「温泉通」など企画はさまざま。「政界通選手権」で平均視聴率2・7%だったが、その3週間後の「和菓子職人選手権」では当時のテレ東バラエティー史上最高の20・1%を記録。多田氏は「ネタによって幅があるのは楽しかった。スリルがありました」と話す。

1番人気は「大食い選手権」。他局に後追い番組も生まれ社会現象にもなった。しかし、02年に起きた中学生の給食早食いによる死亡事故で、各局が放送を自粛。テレビ東京は05年に「元祖!大食い王決定戦」として特番枠で再開した。

多田氏 早食いではなく、健啖(けんたん)家(=よく食べる人)の勝負。無理はさせない。元祖だという自負もあった。時代の流れというか、まだまだいい選手がいるだろうと。でも正直に言うと、大食いが「TVチャンピオン」から抜けたのは痛かった。プロデューサーとしては「大食い」で平均視聴率を上げて「ちょっと実験やらせてよ」って言えますから。

1つの番組を作る中でも時代の変化を感じる。例えば「カルトモノ」で回答がすんなり出ない場合、編集でカットしたとする。多田氏は「今はそれをやったらアウトですよね」と言う。理由はSNSの台頭だ。

多田氏 撮影を見た人が「本当は答えがなかなか出ないんだよ」とSNSに書く。それが窮屈になりました。ガチはガチ。結果は変えないけれど、番組を面白くするために(編集で)切って、「すごい!」という感じをもっと演出したい。前は演出側が選手と共犯関係で、一緒に面白いものを作りましょうと。それがだんだんできなくなった。

昨年4月に復活したBSテレ東「TVチャンピオン極~KIWAMI~」(日曜午後9時)には、OBとして企画会議に参加する。

多田氏 「極」では何か話題作りをしないといけないと思います。BSは(視聴年齢)層が高いので、それにあったテーマをやらないといけないけれど、配信ではもうちょっと「体力体質モノ」で絵力の強いものをやった方がいいと思う。そこがなかなか、相いれない。とにかく目新しいもの、すごい人を出さないと。

座右の銘は「テレビは一期一会」。ネットの普及で「最近はそうじゃないけど」と続けた。

多田氏 僕はテレビのことだけを考えて、ある種アナログチックに生きてきた。今はいろんなことに気を使う。

ベテランテレビマンは、番組を通して時代の移ろいを感じている。【遠藤尚子】

◆多田暁(ただ・ぎょう)1957年(昭32)1月6日、東京都生まれ。上智大卒。79年テレビ東京入社。05年編成局次長、07年秘書室長、09年編成局長、11年ネットワーク局長を歴任。14年テレビ東京ミュージック代表取締役社長、17年から現職。