歌手井上陽水(70)が今年、1969年(昭44)の歌手デビューから50周年を迎えた。つややかな声、魅惑的な歌詞とメロディーで時代を彩り、半世紀にわたって多くの人を魅了してきた。新元号になっても、走り続ける。そんな希代のアーティストの魅力を、近しい人の証言をもとに今日から連載する。第1回は、長女で作詞家・歌手の依布サラサ(35)が「素顔の陽水」を明かす。

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依布は、圧倒的な声量を持つ父、陽水のボイストレーニングを見たことがない。それどころか、ライブ前に楽屋で仮眠をとり、ステージに向かうこともあるという。「彼なりのルーティンがあると思うのですが、私には絶対まねができない。不思議だな~と思います。彼は、だれも自分のことを知らない新人のころ、歌をまったく聴いてくれなくて『聴けよ聴けよ』という気持ちで大声で歌ったら、声が出るようになったと言っていました(笑い)」。

10代後半まで、父と同居していた。「夢の中へ」(73年)など数々のヒットを飛ばしてきた陽水の歌詞は独創的で、聞く人がそれぞれの想像力をかきたてながら楽しむことができる。それは、普段の言動にも表れていた。

依布が中学生の時、ボウリング場の1投目でスプリット(ピンが端と端に残ること)になった陽水に「絶対にスペアをとれないよ」と指摘すると「絶対なんてこの世にはない。何事にもいろんな見方があるし、決めつけることはよくない」と返ってきた。「メールのやりとりも詩人みたいなんです。例えば『あなたのことが好きです』というところを『好きかも、あなたが』みたいな」。

陽水が作詞作曲、自身最大のシングルヒットになった「少年時代」(90年)は「夏が過ぎ 風あざみ」という歌詞で始まる。あざみはキク科の植物だが、「風あざみ」というワードは陽水の感性が生んだ造語とされる。依布は父を「アーティストとしては天才すぎる」と言いきる。「でないと、あんな詞は書けないと思う。ストイックとユニーク、そしてデリケート。この3つが共存している人です」。

陽水の本名は同じ文字で「あきみ」と読む。あきみさんは自宅ではどんな人だったのか。「ツアーの時は、家にずっといないし、逆にツアーのない時は長くいる。そのギャップがすごくて、子どものころは『お父さんは働いているのかな』『お金とか大丈夫なのかな』と心配していました」と懐かしそうに振り返った。

休日には一緒にバッティングセンターに行くなど、家族とコミュニケーションをとろうとする顔も持っていた。そんな父を依布は「父」「彼」「陽水さん」と尊敬を込めて呼ぶ。「すごく印象に残っているのは小学生の時、家族全員で『ちょっとドライブしよう』と羽田空港に行って『次の飛行機に乗ろう』と。どこに飛ぶか分からないけど、それがすごく面白かった。陽水さんは、それらのことを全て吸収して、作品に反映させてきたと思います」。

子どもに声を荒らげることは少なかったが、1度だけ激しく叱られたことがある。「5歳くらいの時、家に立派な将棋台があって、マス目を数えたくて油性マジックでポンポンと『点』を付けた。この時は叱られましたね」。

かつて、恋人を紹介した時の対応も、独特だったという。「彼氏を見て『何だお前はっ』みたいでは全然なくて、フェミニンな感じで面白がっていました。一時、父の中ではやっていたのが『ねぇ、バルト3国って知ってる?』という質問コーナー。大体の人は答えられなかったけど、妹の東大出の彼氏だけが答えられて『すごいな~』って。バルト3国が言えるかどうかで何をジャッジしているか分からないけど…。不思議な人なんです」。

依布はそんな父の影響を受け、自然と同じアーティストの道を歩んだ。父の曲をもっと、若い人たちに聞いてほしいと願っている。陽水が12年に野外音楽フェス「フジロック」に出演した直後のこと。「家族旅行で熊本の天草に行ったら、若い女性が『フジロックで見ました』と声をかけてくれたんです。これからもフェスとかにもどんどん出て欲しいと思っています」。

期待しているのが、97年に結成した奥田民生(53)とのユニット「井上陽水奥田民生」の、06年に次ぐ再結成だ。「昨年の末、父と車に乗っている際にアルバムをかけると、お互いに『あらためて聞くとやっぱりいいね』と盛り上がったんです」。

若い世代の音楽にも敏感だ。飛行機内で、きゃりーぱみゅぱみゅの「にんじゃりばんばん」(13年)を聞いた際「あのイントロすごいね」と感心していたという。「音楽の許容範囲の広さというか、アンテナの柔軟性がすごい。『食わず嫌い』をしない人です」。

陽水は7日、新潟・長岡市立劇場で50周年記念ツアーをスタートさせた。6月30日までの24公演。古希を迎え令和時代になっても、少年のようにみずみずしい感性で全国のファンを魅了していく。  【松本久】

◆依布(いふ)サラサ 1983年(昭58)12月22日、東京都生まれ。06年に「長い猫」を井上陽水と共同作詞して作詞家デビューし、07年に「カリキュラム」で歌手デビュー。11年から福岡に移住し、地元を中心にテレビやラジオでタレントとしても活動。資格は九州観光マスター、船舶免許2級。母は歌手石川セリ。家族は夫と2女。血液型B。

<陽水の主な記録>

▼初のミリオンセラーアルバム 73年発売「氷の世界」が75年に101万1000枚を達成。累積140万枚。

▼アルバムの通算首位獲得週数トップ 7つの作品で68週の1位を獲得。

▼初めて3年代でアルバムがミリオン達成 70年代「氷の世界」、80年代「9・5CARATS」(84年)、90年代「GOLDEN BEST」(99年)。

※オリコン調べ(今年4月1日現在)

<陽水の主な足跡>

▼1948年(昭23)8月30日 福岡県で生まれる。本名井上陽水(あきみ)

▼69年 アンドレ・カンドレ名義で「カンドレ・マンドレ」でデビュー

▼72年 井上陽水に改名。「人生が二度あれば」で再デビュー

▼73年 アルバム「氷の世界」を発売。日本初のミリオンヒットになる

▼75年 吉田拓郎らとフォーライフレコードを設立 ▼84年 ミリオンヒットのアルバム「9・5CARATS」を発売

▼90年 映画「少年時代」の同名主題歌を発売。自身最大のシングルヒットになる(136万枚)

▼96年 奥田民生と共作の「アジアの純真」(パフィーが歌唱)を発売

▼97年 ユニット「井上陽水奥田民生」として「ありがとう」など発売

▼99年 ベストアルバム「GOLDEN BEST」がミリオンヒット

▼06年 「井上陽水奥田民生」を再結成して「パラレル・ラブ」を発売

▼12年 フジロック・フェスティバルに出演

▼14年 ポール・マッカートニーのトリビュートアルバム日本盤に日本人歌手で唯一参加

▼16年 TOKYO FM「ミュージックドキュメント 井上陽水×ロバートキャンベル」に出演。同作が日本放送文化大賞ラジオ部門でグランプリを獲得