ジャニー喜多川氏は、作・構成・演出を手がけた多くの舞台で「反戦」と「平和」を強く訴えてきた。そこには、自身の戦争体験が色濃く反映されている。

1931年に米ロサンゼルスで日系2世として生まれた。2年後に一家で日本に戻ったが、第2次世界大戦が始まると和歌山へ疎開。そこで大空襲にあった。焼夷(しょうい)弾が雨のように降る中を必死に逃げ回り、何とか命は助かったが、幼い目は多くの死体を目の当たりにした。「一生懸命焼夷弾から逃げた。奇跡的に逃げた。当たったら、死ぬんですよ」と振り返った。

空襲を避けるために橋の下に隠れるシーンがある。これは防空壕(ごう)に入ることができなかった実体験だった。2017年の舞台「ジャニーズ YOU&ME アイランド」の中でのシーンだ。「僕はなるべくフィクションじゃない、本当のことを伝えたいと思ったから、どうしてもああいう風になっちゃう」と説明していた。

帰国後に米国に戻ったが再び来日。そして再度の「戦争」を経験することになる。朝鮮戦争だ。52年に朝鮮半島に派遣された。ここでは、米軍キャンプの外にある児童養護施設で暮らす子どもたちに軍関係の仕事をあっせんし、小遣いを稼がせることもあったという。自身も3歳で母親を亡くし、日本で戦争孤児たちの苦労を目の当たりにした経験から、手を差し伸べずにはいられなかった。韓国滞在は約1年ほどだったが、この時の経験などから韓国語も堪能だった。

舞台稽古の際には、若い出演者たちに自らの戦争体験を赤裸々に語ってきた。客席を埋める若い女性たちにも、ステージを通じて戦争のむごさや平和の尊さを伝えてきた。

華やかなエンターテインメントの裏で、多くの若者に「NO MORE 戦争」の強い思いを伝え続けた人生だった。