俳優デビュー45年を迎えた近藤芳正(60)は、昨年から今年にかけ大きな転機を迎えた。コロナ禍は自分自身に生き方を問うことになった。京都に拠点を移し「愛情、友情づくりを一からやり直している」と言う。主演のYouTubeドラマ「おやじキャンプ飯」もきっかけになった。第1シーズンの人気を受け、第2シーズンが始まった。【取材・小林千穂】

YouTubeドラマ「おやじキャンプ飯」でソロキャンプ生活を続ける元中華の料理人を演じる近藤芳正(撮影・和賀正仁)
YouTubeドラマ「おやじキャンプ飯」でソロキャンプ生活を続ける元中華の料理人を演じる近藤芳正(撮影・和賀正仁)

★元中華店主役

「おやじキャンプ飯」第1シーズンは1年前に配信され、全6話で再生回数約520万回のヒット作になった。近藤演じる主人公は新型コロナの影響で中華料理店を閉めた店主。キャンプ生活をする中、さまざまな人と出会う。

「昨年は室内撮影が厳しい状況だったので、キャンプだったら密にならないし、企画を聞いた時はおもしろいんじゃないかなと感じました。ある程度は話題になるかなとは思っていましたが、ここまで見てもらえるとは思いませんでした」

第2シーズンは、すでに和歌山で撮影を終えた。

「監督、プロデューサー、カメラマン、照明さん、キャンプ好きのスタッフが多いので、楽しみながら手作り感のある現場でした」

キャンプ経験はなく、撮影前、馬杉雅喜監督らとキャンプしたのが初だった。

「自然は決して心地いい癒やしだけではない、怖さもあるということを頭でなく、体感しました。ほかに人間はいないし、もしかしたら獣が下りてくるかもしれない。昼間には草や木々の音、鳥の声を聞いたり、生きているんだなと実感しやすくなると思いました」

▼▼19歳差の妻との出会い、三谷幸喜監督との出会いについて語る▼▼

小さな中華鍋を振り、おいしそうなチャーハンを作る場面も登場する。

「料理はほとんどしないです。教えてもらいながら撮影しました。チャーハンは何度か作りました。洗い物は好きなんだけど、作るのはあまり好きじゃないですね。作品のイメージと違っちゃうからあまり言わない方がいいかな(笑い)」

主人公には新型コロナの影響で店を閉めざるを得なかった背景があるが、自分を重ねる部分もあった。

「仕事が入らなくなったり、準備していたものが中止や延期になってリセットされました。稽古した舞台が発表できないのは、精神的にきついので、ちょっと離れたいと思いましたから、1人でキャンプをする気持ちにリンクするところはありました。いまだに、役者を辞めようかと思うこともありますから」

昨年10月、生活の拠点を京都に移した。もともと、NHK・BSプレミアム「雲霧仁左衛門」「大岡越前」といった時代劇のレギュラー出演で京都に滞在することが多かった。そこへ、京都の制作会社が手掛ける「-キャンプ飯」のオファーを受けた。

「これも京都かと思いました。(『雲霧-』で共演の)中井貴一さんは、京都は呼ばれて住むところだよ、近ちゃん呼ばれてるねって言ってました。東京に残したワンルームは、仕事で上京した時に使っていますが、西日本、関西での仕事が多くなりました。人生の転換期を迎える作品にもなったわけです」

★19歳差 電撃京都婚

今年1月に結婚を発表した妻との出会いは大きかった。京都で行きつけのおでん店があり、京都生まれの妻と出会った。

「(去年)3月に出会って、10月には京都に住んでるので、電撃です。リモートや電話で1時間、2時間平気で話せる。並大抵の相性じゃない。お互いバツイチ、19歳差ありますが、進めちゃおうということになりました。本当にびっくり。こんな人生おもしろいと思っている自分もいます」

生活が変わったこと、コロナ禍などが重なり、生き方を問い直した。

「仕事の評価イコールその人の評価になりがちですが、仕事は人生の一部。僕は恥ずかしながら仕事ばかりやってきたので、仕事から離れた愛情づくり、友情づくりを大切にしたいと思いました。コロナ禍で一気に変わりました。一からやり直している感じです」

役者になって45年。「芝居バカだった」と言う。

「役者をやり続けてきて、それはそれで楽しかったんですが、睡眠時間の短い中、冷や飯の唐揚げ弁当を食べてたりすると、そこまでやりたいのか、自分に必要なことなのかと自問自答するようになったんです。すると意外にも、そうではないなと思う自分もいたんです。あれだけ芝居好きで、芝居のことしか考えてなかった人間が。ちゃんと寝て温かいものを食べて生活をすることも大切だと思うようになりました。ここ数年だけかもしれないけど、今のところそうですね」

芝居の楽しさを知ったのは小学校の学芸会だった。児童劇団に入り、NHK名古屋制作「中学生日記」に出演した。

「子供時代に両親の離婚があり、自分の体が半分になったようで情緒不安定でした。『中学生日記』の現場では、いいドラマを作るという同じ目標に向かい、皆が努力をしているのがとても気持ち良かった。役を通して怒ったり喜んだり。大人になったらこんな仕事がしたいと思いました」

19歳で上京し青年座研究所、その後劇団七曜日で過ごしたが、バイト生活は長く続いた。「僕の構想では、30歳くらいで食えてるだろうと思っていました。28歳の時、あと2年ではとても無理だと思って、辞めちゃおう、と。辞めるなら悔いのない辞め方をしようと考えたんです。どんな芝居が好きかという原点を考え直そうと、見ておもしろかった劇団に『出させてください』と言うようになりました。その1つが東京サンシャインボーイズでした」

★三谷作品常連

三谷幸喜氏主宰の劇団との出会いを「幸せを見つけたと思った」と振り返った。

「自分のやりたいことは、役を通してお客さんに笑ってもらうことだと思いました。ここで年に2~3本お芝居できれば、あとはバイトでもいいと思いました。そのうち三谷さんがどんどん売れ、自分にも役をくれるようになったんです」

三谷作品の常連として知られるようになり、活躍は今に続く。NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」(月~土曜午前8時)にも登場する。1つ1つの作品に真摯(しんし)に向き合うことは変わらないが、感じ方は変化した。

「以前は、人に認められたい気持ちやある程度のお金が欲しい気持ちが大きかったんですが、今は、追い求めるものではないと思っています。楽しい友達と一緒にいる方が人生を豊かにできるんじゃないかな」

やりたいことは山ほどある。焦りや気負いのない表情で語った。

「もの作りがもともと好き。芝居でもなくダンスでもなく音楽でもないパフォーマンスをやってみたい。京都の方たちとできないかと考えたりしています。初監督作品の話は1度流れてしまったので違う形で考えていきたいです」

▼「おやじキャンプ飯」の馬杉雅喜監督

「役者近藤芳正」のイメージは「芝居の求道者」。いつか一緒に仕事をしてみたいとあこがれていた役者さんです。自然体で気さくに接してくれる普段の近藤さんは、普通のおやじ。しかし脚本の話をしだすと、一言一言が鋭い。物腰は柔らかいまま、アクション映画の達人のように、ふわーふわーとした流れから、鋭利な針で急所を突かれていきます。現場での近藤さんは大木。どんな球を投げようと揺らぎません。暴投してもフェアゾーンに打ち返してくれる安心感。シーズンを重ねて一緒に仕事をしていきたいです。

◆近藤芳正(こんどう・よしまさ) 1961年(昭36)8月13日、愛知県生まれ。79年に劇団青年座研究所入所。三谷幸喜作品に数多く出演。映画「ラヂオの時間」「THE 有頂天ホテル」など、舞台「笑の大学」など。ドラマは「王様のレストラン」「踊る大捜査線」など。01年「劇団ダンダンブエノ」立ち上げ。登場人物すべてを演じ分けるソロプロジェクト、ラ・コンチャンの舞台「ナイフ」(水戸芸術劇場、1月21~23日、ほか愛知、東京、兵庫、山口公演)が控える。「カムカム-」はジャズ喫茶支配人、大河ドラマ「青天を衝け」は駐米大使幣原喜重郎で登場する。