フジテレビ系トークバラエティー「はやく起きた朝は…」(日曜午前6時30分)は、今年4月に前身から29年目の放送に突入した。プロデューサーを務めるのは、同局「オレたちひょうきん族」の“ひょうきんディレクターズ”の三宅デタガリ恵介としても知られた、三宅恵介エグゼクティブディレクター(73)。番組と自身の“長寿”の秘訣(ひけつ)を聞いてみた。
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04年4月に「おそく起きた朝は…」として始まった時に、プロデューサーに就任した。
「元フジテレビの先輩で制作会社の千代田企画の常田久仁子さんがプロデューサーで始まった。私がフジテレビ側の担当プロデューサーで、新しい番組をやろうと提案しました。担当の広報やタイムキーパーとか、女の子3人をカラオケに連れて行っていろいろ聞くと、女の子は歌番組なら見ると。それで歌番組にしようと思ったんだけど、普通の歌番組じゃなくしようと思った。基本はトークなんだけれど、3人が思い出のある曲を1曲ずつ持ってきて、それを流しながら思い出を語るトーク番組にしようとしてできたのが、日曜午前9時半からの『おそく起きた朝は…』」
94年4月の放送開始以来のレギュラーは磯野貴理子(58)松居直美(54)森尾由美(54)で変わらず。98年のフジテレビのお台場移転前から続いている唯一のバラエティー番組だ。
「レギュラー放送の前に特番として1回、貴理子ちゃん、直美ちゃん、それに久本雅美さんで放送したら、視聴率を20%近く取ったの。それで主婦とか若い女性を対象にやっていこうと思った。そっくりそのままは違うだろうと、一番の売れっ子だった久本さんを外して、残りの2人と全く毛色の違った人にしようと森尾由美さん。日テレの『天才たけしの元気が出るテレビ』に出ていたりしたんだけどね」
キャラクターの全く違った3人でスタートした。
「みんな、環境が違っていた。直美ちゃんは、欽ちゃん(萩本欽一)のところで、16歳から寄せ鍋トリオとかやっていて、歌もお笑いもやっていた。貴理子ちゃんは3人グループのチャイルズが解散したところ。『ひょうきん族』なんかにも、よくチョイ役で出てもらって知っていた。それと全く違うアイドル路線というか、女優さんっぽいということで、年代が同じ森尾さんを指名してお願いしたんです」
03年に午後1時半に移って「おそく起きた昼は…」、05年に午前6時半で「はやく起きた朝は…」と続いてきた。
「フジテレビの都合で時間がずれて、昼間の1時半にずれて、今は朝の6時半。パパッと言っちゃうと、この長く続いた秘訣(ひけつ)っていうのは、この番組は、あくまでも3人のドキュメントなんですということ。始まった時は、一番上の貴理子ちゃんが30歳になったばっかりだった。3人の立場がみんな違ったんですよね。一番芸歴が古いのは一番年齢が若い直美ちゃんなんです。それで、一番年上の貴理子さんが芸歴からすると一番浅い。森尾さんはアイドルで、歌手からドラマの方に来た。番組開始の2年前に結婚してて、あとの2人は独身で全く立場が違う。それで、この30年近い間に直美ちゃんが結婚して、子供をつくって別れて。森尾さんは2人目の娘さんを産んだ。貴理子ちゃんは30代のうちに結婚したいって言ってて、39歳と10カ月で当時のマネジャーと結婚して別れて、2回目の結婚して病気になり、また別れて。今は子供が2人の森尾さん、バツイチで子供1人の直美ちゃん、そしてバツイチの貴理子さん。今年の母の日には25歳になる直美ちゃんの息子の直樹君が出演してくれました。0歳の時から毎年、母の日になると直美ちゃんの似顔絵を書いてくれているんです」
番組では3人が視聴者から来た手紙を読んで、感想を口にする。
「ドキュメントで、その時の感じたことを素直にしゃべっているということが長続きの秘訣だなと思います。例えば視聴者からの不平不満のはがきがあったとして、28年前の最初の頃と今とでは、3人の答えは絶対に違うと思うんですよ。そのへんで、まあ長く続いている」
3人と共に番組を支え続けているのは視聴者の存在だという。
「3人にプラスして、視聴者のことを4人目の出演者と我々は呼んでいるんですが、その今の声を聞くという感じです。あと一番いいのは、3人の距離感。うまくいってるなという気はしますね。友達とかでもね、知ってはいても、そんなにべったりはしない。なんかあった時にはね、というのがいい。3週分ずつ撮っているんですけど、月に2回、3回ぐらいで、いい距離感というか、そこで久しぶりに会って話をするということがいいんじゃないかなと思います」
この番組ではプロデューサー業に徹している。
「フジテレビに嘱託で籍を置いていますが、この番組の制作会社・千代田企画の社長もやっています。千代田企画の3人のディレクターがいて、1人が撮っている時は他の2人がフロアディレクターを務める。3人のディレクターが3人の出演者の担当にも、それぞれなっていてコーナーを作ったりしています。来年30年目で、貴理子ちゃんもアラ還なんで、いろいろな事をやってみたいですね。フジテレビの番組で今、一番長く放送されているのが『ミュージックフェア』(64年8月から)。終わっちゃったけどタモリさんの『笑っていいとも』が31年半、小堺一機さん司会の『ライオンのいただきます』から『ライオンのごきげんよう』も31年半。同じ司会者というか、出演者では。この番組がその次ぐらい。だから少なくとも31年半まではやりたいなとは思ってますね」
番組を支えている視聴者で多いのは、3人と同世代のF3層(50歳以上の女性)。
「やっぱり彼女たちと同じ世代のF3っていうか、年配の人たちからのはがきが多いんです。でも、最近は若い、F1層(20~34歳の女性)からのはがきも増えたり、見てくれている。そういう風にちょっと増えたりもしてるのが、ありがたいなとは思いますね。出演者の娘の世代ですけど」
来年の30年目突入に向けて実現したい企画がある。
「14年に貴理子ちゃんが脳梗塞で倒れてからやってないんですが、ライブの『オンステージ』をやりたいですね。よく母娘3代で見に来てくれる人がいた。前は2代でお母さんと見に来てくれていた20代の人が、何年かたって子供ができて、子供とお母さんと3代で見に来てくれた時は、もう感激しましたね」。
大爆笑も、大歓声もない。それでも、毎週日曜の朝にほっこりと楽しい気持ちにさせる。
「テーマとして普遍的なね、悩み相談っていうか、不平不満で、女性の井戸端会議みたいな。それを目指してねやって来たんですが、毎回、収録で笑えるんですよね。笑えるっていうか、どうでもいい話をしているとか。こっちも年を取ってきたからかもしれないけどね。あとは、やっぱり3人の人柄ですね。気負わないで、そのまんまの姿で、偉そうにしないっていう感じ。だからはがきなんかでも、視聴者の皆さんが身近に感じるというかね。参加という表現は、よくしてもらいました」
05年に午後1時半から午前6時半に移ったときは、大きな抵抗があったという。
「これも、フジテレビの勝手な都合でね(笑い)。その時は、10年に亡くなった常田さんもご存命でね。やっぱり朝早い番組っていうのは、すごい抵抗があったわけですよね。常田さんも私もどっちかというと、夜のゴールデンでやってきましたから。別にそのゴールデンがいいとか、そういうあれではないんですが、まぁ視聴者数は多いだろうという観点からすると、朝は少ないだろうと勝手に思ってたいたんです。だけど『いや、朝の方がいいです』って言ったディレクターが1人いた。そいつは子供を持っていて、学校に行くこどもがいる主婦は、日曜日でも早く起きると。子供は日曜日でも朝に起きちゃって、お母さんも朝ご飯を作ったり、洗濯物とかがあるから早起きする。だから主婦は見てくれてますよ。それで、いざ移ってみたら、なかなかいい。もちろん前は(視聴率)2桁とる時もあったけど、固定客がついてっていうかね。それを、一応ファンクラブとしてるんですが、そういう方たちのおかげでなんとか持ち続けてる感じですね」
71年にテレビ業界に入って52年目。今も現役のテレビマンとして活躍する三宅さん。これからも息の長い番組を作り続けていく。【小谷野俊哉】
◆三宅恵介(みやけ・けいすけ)1949年(昭24)2月5日、東京都生まれ。慶大経済学部卒業後、71年にフジポニー入社。「欽ちゃんのドンとやってみよう!」「笑っていいとも!」「ライオンのいただきます」「タモリ・たけし・さんまBIG3世紀のゴルフ」「ライオンのごきげんよう」などのディレクターを務める。80年フジテレビに転籍。81~89年の「オレたちひょうきん族」では「ひょうきんディレクターズ」の三宅デタガリ恵介としても活躍。90年からクリスマス深夜放送の「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー」では、今も演出を務める。09年の定年退職後もフジテレビに嘱託のエグゼクティブディレクターとして在籍している。千代田企画社長。