CS放送の衛星劇場が、特別企画「没後30年 松本清張特集~松竹映画18作品~」を特集することになり、映画「砂の器」(74年公開、野村芳太郎監督)に出演した森田健作(72)が取材に応じた。
原作が何度も映画化、ドラマ化された清張作品の中でも、日本映画界の名作と呼ばれるのが映画「砂の器」だ。同作を松竹とともに共同制作した脚本家の橋本忍氏から、森田は強いオファーを受けたという。「橋本先生からは、おい、元気ボーイと呼ばれていましてね」。それまでは青春ドラマなどの出演が多く、今作のような社会派作品の出演経験はあまりなかった。さらに、大作のため、周囲からは撮影に入るのに2~3年はかかるとも言われたこともあり、あまり前向きではなかったという。
「橋本先生からはぜひやれと言われて。台本を読んでいくと、蒲田署の刑事役だった。うちの父は警視庁の刑事だったんですけど、退官する前が蒲田署だった。その時、俺がやらないといけないという使命感が出てきたんです。結果的には、すごい作品に出られて心から感謝しています」。松竹から映画俳優としてデビューした森田にとって「砂の器」は代表作となった。
森田が演じたのは蒲田署の若手刑事。主演の丹波哲郎さん演じる警視庁刑事とコンビを組む、いわゆるバディものだ。その当時、丹波さんはセリフ覚えがあまりよくなく、アフレコも得意ではないと知られていた。周囲から「大丈夫か」と心配されたが、森田は「問題ないですよ。私も同じようなものですから」と笑い飛ばしたという。
同作では、丹波さん演じる刑事が島根・亀嵩に行き、事件の核心をつかみ、都内の居酒屋で森田演じる刑事に報告をするシーンがある。ビールを飲みながらのカットだが、2人とも下戸。だが、巨匠の野村監督だけに、グラスにお茶を注ぐことは許されなかった。「丹波さんが、俺は飲むよっていうんです。先輩がそういうから、仕方がないですよね。でも、当時の大作ですよ。リハーサルが1回で済むわけがない。何度も繰り返すことになって。2人とも酔っぱらってしまいました」。
事件の発端となった蒲田署管内で起きた殺人事件の被害者が、緒形拳さん演じる三木謙一。その三木が、警察官を務めていたのが、亀嵩だった。丹波さんは、三木と犯人との接点を居酒屋で語るシーンだった。
「台本では、20年間巡査をやっていた三木謙一について語るシーンでした。でも本番では、丹波さんは三木のり平は…、って語りだしたんです。本人も気付かないし、カットもかからない。最終的にはその後で気付いたんですが、大監督もスルーするほどの熱演で、丹波さんの迫真の芝居だったんです。そのシーンはよく見ると、2人とも顔が赤いんですよ。飲めないんだから。丹波さん、本当に真面目にやっておりました」。
森田演じる刑事も、電車から捨てられた、犯人の証拠につながる切り刻まれた衣服を探すシーンがあった。ロケ地は山梨・塩山。森田は撮影の前日に入り、翌日は早朝から撮影に臨んだという。だが、リハーサルはやるものの撮影はなし。2日目も同じだった。いら立つ森田は「私の芝居のどこがいけないんでしょうか」と監督に理由を聞くものの、回答は「山の向こうの雲の形が気にくわないんだ」。さすがに3日目には撮影が行われたが、その時は自身は最後まで納得がいかなったという。
「でも、30代になって作品を見て分かったんです。そのときの僕は元気ボーイだから、そのままでは、必死に捜索する刑事の表情が足りないと監督は思ったんでしょうね。だから、あえて、僕をイライラさせた。画面を見るとそのイライラ感が出ていて。監督はそこを狙ったんでしょうね。監督の奥深さを知りました」。
「砂の器」のテーマの1つにハンセン病がある。映画のラストには、テロップで完治する病気であることをしっかりと明示している。作品の公開は74年だが、国は、らい予防法が廃止される96年まで、約90年間も隔離政策を続け、その政策から、患者への差別が生まれてしまった。森田はこの作品に出演したことで、大切なことを実感したという。
「ハンセン病は完治する病気だ。でも、一番怖いのは風評。だからこそ、国がしっかりとした姿勢で臨まないと、国民がぶれてしまうんです」。
俳優活動を経て、森田は国会議員へと、そして千葉県知事を3期務めた。
「参議院議員の時でしたかね、いじめが問題となり、党内の部会で話し合いを重ねました。誰もが、いじめはよくないと言うんですよ。それは当たり前。そうではなく、国が、子どもたちの心に刺さるようなメッセージを発しないといけないと、発言した記憶があります」。
森田が映画「夕月」でデビューしたのは69年。出演した映画やドラマは数知れないが、「砂の器」はその後も森田の人生に影響を与える作品となった。【竹村章】
◆「砂の器」 松本清張の長編推理小説で、60年5月から読売新聞に連載された。大田区蒲田で起きた殺人事件を、刑事の捜査と犯罪者の動静を描く作品。ハンセン病を物語の背景としたことでも大きな話題になった。74年に松竹で野村芳太郎監督、脚本橋本忍氏、山田洋次氏で映画化され、年間興収ランキングで6位になる大ヒットを記録した。その後も、民放各局が、主人公を変更するなど計7回もドラマ化された。



