今月1日にレコードデビュー50周年を迎えた郷ひろみ(66)が29日、東京・ソニーグループ本社ビルで「レコードデビュー50周年記念式典」に出席した。
式典では、デビュー曲「男の子女の子」の誕生秘話を明かすとともに、ファンへの感謝を涙ながらに伝えた。
スピーチ全文は次の通り。
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今、頭の中には、感謝という言葉しか浮かんでこないんですよね。50年間支えていただいて、本当にどうもありがとう。
今の言葉になんか気持ちが集約されるなという思いと、たくさんの思い出が僕の中では詰まってるなというのもあるんですね。
当時、1972年。僕がレコードデビューすることになるんですけど、当時は「モニター」が流行っていて、こういう会場におそらく200人ぐらいの方を呼んで、A面、B面のどっちがいいかって聞いて判断していたような時代だったんですよね。
錦野旦(にしきのあきら)さんの「空に太陽がある限り」も、実はモニターでどちらがいいかって。(候補が)もう1曲あったらしいんですよ。それで大体、80~90%こっちの曲がいい、こっちの曲がいいっていう風になるらしいんですよね。それで錦野さんの曲も80%以上の人がこの歌がいいということでA面に決まったといういきさつがあるんですよ。
それで、僕の「男の子女の子」ですが、実はもう1曲、「夢をおいかけて」のどちらがいいかという(モニター調査があった)。「男の子女の子」はちょっと変わった曲です(笑い)。もう1曲は当時はやっていた典型的なエイトビートの曲なんです。どちらがいいかということで、そのモニターに聞いてみたら、80%の方が、やはりそのはやりの曲ですね。「男の子女の子」は、20%の人がまあいいなというふうになって分かれたんです。ところがあの当時の僕のディレクターの酒井(政利)さんという方が「そんな万人受け曲する曲はやめましょう。だったら、この20%にかけます」ということで「男の子女の子」になったんです。
僕の中では、だったら最初から(モニターを)やらなきゃよかったのになと思いました(笑い)。同時に、これは、すごくいいよね、素晴らしい体質だったなって。やはり独自性というか、もうこの頃から、ソニーは他とは違うスタイルをいくというのは、全社員に浸透していたのかなって思わせるような、僕の中ではエピソードなんですよね。
結果的に「男の子女の子」がデビュー曲になって。そして50年後に、こうして、皆さまの前に自分が存在していることに、心から感謝申し上げたいと思います。
この会場を使えるというのも、本社の皆さまにご尽力していただいたたまものだと僕は思っています。改めてお礼を申し上げたいのと、同時にあの50年、僕のことを支えてくれたレコード会社に、感謝の気持ちを述べたいと思います。
最後に…何よりも…(涙を流す)。僕の大切な、ファンの人に…。感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。50年間もこうして支えてくれて、本当に本当にありがとう。そしてこれから、僕は皆さんのためだけに歌を歌っていこうと思います。ありがとうございました。



