タレント山田邦子(62)が13日、ニッポン放送「ナイツ ザ・ラジオショー」(月~木午後1時)にゲスト出演。テーマパークに憧れを抱いた自身の過去の夢について告白した。

月曜パートナーの平野ノラ(44)が「原宿で、邦子さんのグッズをお小遣いためてめっちゃ買って」と幼少期に山田のキャラクターグッズを実際に購入していたことを山田本人に伝えると、山田は「お店出たときうれしくて。ディズニーランドみたいなことが夢だったから、一生懸命有名になればキャラクターができて、そこ発信の遊園地とか遊べるようなところができたらっていうのがずっと夢だった」と過去に抱いていた夢を明かした。

山田は続けて「それにはデビューして、キャラクターがしっかりすればと思って。だから原宿のお店が出たときは一生懸命すいかの格好して。まだ東京ディズニーランドができてなかったからね。でもあとでいろんなこと聞いたら、50年くらい前から構想してたんだってね。だから無理だよね。日本が戦争してるときにもうミッキーがいたんだとか。無理だよね」と語り、夢のために努力を重ねたものの、その実現の難しさについて振り返った。

当時について、「知らなかったから、一生懸命やって『くそ! なんだ! ディズニーランドが開いた!』って思ったらディズニーランドでいっぱい生放送させてもらって。ミッキーとも仲良くなって。具合悪いときにミッキーから『風邪早く治ってね』って手紙が。片仮名で『ミッキー』って書いてあった」と敵対視していたディズニーと仕事を通してつながりが生まれ、起こった珍エピソードについて笑って語った。

「それでもまだテーマパークやりたかったから、『グーフィーならくれるのかな』と思って」と自身の夢を諦めきれず、過去にキャラクター譲渡の交渉をしようとしたものの、「恥ずかしいです。世間知らずで。『あげません』って言われて」と計画は失敗に終わったことを明かした。