東京映画記者会(日刊スポーツなど在京スポーツ紙7紙の映画担当記者で構成)主催の第65回(22年度)ブルーリボン賞が23日までに決定し、倍賞千恵子(81)が主演女優賞を俳優部門歴代最高齢で受賞した。

倍賞は受賞に「(20歳の)デビュー時とあんまり変わらない気持ちでここまで来ちゃった感じがします。『最高齢』って言われるのが不思議です」と笑った。

対象作の「PLAN 75」は高齢化社会の厳しい現実に焦点を当てている。

「最初に台本を読んだときはきつい内容で、お受けするまでには時間がかかりました。(早川千絵)監督が明るい人で、お会いして(出演の)気持ちが固まりました」

撮影を通じて改めて「死」と向き合った。

「(35歳下の)早川監督に死生観を教わり、しっかり生きなきゃって思いましたね(笑い)。現場では過保護なくらい気を使ってもらいました。若いスタッフたちがミチ(役名)の気持ちになってくれ、頂上(完成)に向けてみんなで山登りするような感覚でした」と振り返る。

共演の河合優実(21)は自身のデビュー時とほぼ同じ年齢だ。

「立ち姿がとってもいいし、忍耐強い人。付きっきりの監督から話を聞きながら、テイクを重ねる度に見違えていく。監督! 私にも演出してっと、ちょっと思いましたけど(笑い)きっと素晴らしい女優さんになられるんだと思います」

「PLAN 75」では多くの賞に輝いた。

「渥美(清)ちゃんが生きていたら『頑張ったな。たいへんだったろう』ときっと何か買ってくれるんじゃないかしら(笑い)。『男はつらいよ』の20作目くらいですかね。街歩くと『さくらちゃん』と呼ばれることがちょっといやになった時期があるんですよ。そのことを渥美ちゃんに話したら『お前ぜいたく言うんじゃない。役者が役名で呼ばれるのは褒め言葉なんだからな』って言われて、もう1度気持ちを引き締めたことを思い出しますね」

その「寅さん」の盟友、佐藤蛾次郎さんが昨年、78歳で亡くなった。

「『元気?』と電話をかけ合う仲。もうそろそろかけようかなと思った時に訃報を聞きました。1人でお風呂場で、と聞いて悲しかった」

一方で、夫役の前田吟(78)は昨年、4歳下の歌手、箱崎幸子と再婚した。

「チーちゃんオレ結婚したんだよ。オレ(夫人とデュエットで)歌手デビューもするんだ。もちろん自分で(制作費の)金は出したんだけどねって(笑い)。もう、うれしそうでね。喜ばしい限りですよ」

妹の女優、倍賞美津子の夫だったアントニオ猪木さんが、79歳で亡くなったのも昨年だ。

「アントニオさんは妹の旦那さんだったし、結婚しているときはよくウチで一緒にご飯食べたりしていました。そういえば妹の孫たちが去年ウチに来てご飯食べましたね。猪木さんに(アゴのところが)似てる子がいたりして、あぁって思ったりしたんですよ」

今後については「大上段に生涯現役とかは思っていませんが、体が続く限り、(台本を読んで)何か湧き上がってくるものがある限り(女優を)続けていきたい」と前を見た。【相原斎】

◆ブルーリボン賞 1950年(昭25)創設。「青空のもとで取材した記者が選出する賞」が名前の由来。当初は一般紙が主催も61年に脱退し67~74年の中断を経て、東京映画記者会主催で75年に再開。ペンが記者の象徴であることから副賞は万年筆。新型コロナウイルス感染拡大防止のため授賞式は3年連続で開催を見送ってきたが主演男、女優賞受賞者が翌年の授賞式で司会を務めるのが恒例。