きょう7月1日は「更生保護の日」。犯罪や非行を未然に防ぎ、罪を犯した人の円滑な社会復帰を促す日である。各地域で、その最前線に立つのが「保護司」だ。民間のボランティアだが、担い手の減少、高齢化など課題が指摘されている。5月中旬には、法務省で対策に関する検討会が始まった。保護司歴25年の歌手鳥羽一郎(71、本名・木村嘉平)に、保護司になった経緯や、やりがいなどについて聞いた。【笹森文彦】
◇ ◇ ◇
「兄弟船」で知られる鳥羽は、更生保護の歌「愛をみんなで」(97年)を歌っている。愛や情けが余っていたら、足りない人と分け合おうと歌う。
同曲は、愛媛が舞台の「来島海峡」(作詞・星野哲郎、作曲・岡千秋)のカップリング曲。制作に先だって、愛媛を拠点に造船などの来島グループを率い、日本の再建王と言われた実業家・坪内寿夫(ひさお)氏と知り合った。
坪内氏は受刑者の社会復帰促進に積極的で、自社の敷地内に松山刑務所大井造船作業場を開設した。いわゆる“塀のない刑務所”である。同氏は「更生保護の歌を歌ってほしい」と願い、同じ作家陣による「愛をみんなで」が制作された。
鳥羽 その坪内さんからいきなりですよ。「鳥羽さん、保護司になれ!」って。当時は保護司が何なのかも分からなかったから、戸惑いました。
かつてマグロ船員だった鳥羽は、88年から海難遺児チャリティー漁港コンサートを開始していた。さらに恩師の作曲家・船村徹氏が刑務所慰問に積極的で、鳥羽は付き人時代から数多く同行していた。坪内氏はそうした経歴を知っていたのかもしれない。
鳥羽 船村先生から「お前もな、余裕ができたら、施設を回るなど(社会貢献を)やったほうがいいぞ」と言われていました。なので、保護司になって、慰問に行くのもいいんじゃないかと思った。それでやります、とお伝えしました。
鳥羽は推薦され、法務大臣から98年2月1日付で、保護司を委嘱された。それから25年、現在も保護司として尽力している。
鳥羽 いや~(仕事柄)地域に密着した活動ができていないので申し訳ないと思っています。だからこそ、刑務所慰問などを保護司の仕事の一環と解釈して、積極的に続けています。
全国の刑務所(女子刑務所含む)の慰問は、依頼だけでなく、自ら申し出ることも多い。その際、動機を尋ねられると「保護司として」と答えている。
実際に少年を更生させたこともあった。暴走族で何度も補導されている少年の親族から、相談を受けた。鳥羽はその少年と会い、話をした。17歳だった。
鳥羽 俺は同じ年で、もうマグロ船に乗って一人前に働いていたぞ。どうだ、マグロ船に乗ってみないか、って言ったんです。最初は嫌がっていましたが、1カ月後に父親から「行きたいと言っている」と連絡があったんです。
鳥羽は懇意にしている鹿児島の新洋水産という会社に、少年の引き受けを依頼した。少年は下積みを経て、マグロ船に乗り、約3年間、世界の海を回った。
鳥羽 それは見事な男になって帰って来ましたよ。今は地元に戻って、立派に仕事をしているそうです。うれしいですね。
見知らぬ人から感謝されたこともある。家族で焼き肉店で食事をしていた時、1人の男性が近づいてきた。ファンかと思ったが、テーブルに紙と焼酎1本を置いて行った。
鳥羽 紙ナプキンか何かへの走り書きでした。「施設(刑務所)で、その節はお世話になりました。今、頑張って働いています」と書いてありました。どこの施設かは書いてありませんでしたが、慰問へのお礼だったと思います。コンサート会場でも、同じようなことはよくあります。
鳥羽は13年に「一厘のブルース」(作詞もず唱平、作曲・島根良太郎)を発表した。九分九厘だめでも、残った一厘に懸けろ、と歌う。同曲は、刑期を終えた人を積極的に採用しているお好み焼きチェーン「千房」(本社・大阪)の中井政嗣会長がモデルである。
鳥羽 (歌手は)言葉ではなく、歌で思いを伝えるのが仕事です。保護司として、これからもそうして支えて行きたい。保護司の数が減っているそうですが、ぜひ若い人に興味を持ってもらい、頑張ってほしい。歌謡界も同じです。若い人が頑張ってくれれば、俺たち(の年代)もつられて、頑張っていけますから。
■映画やドラマにも登場
○…保護司を主人公にした映画やドラマは数多く制作されている。最近では、映画「前科者」(22年、岸善幸監督)が話題となった。同名漫画(作・香川まさひと、画・月島冬二)が原作。20代の女性保護司(有村架純)が、殺人の前科を持つ青年(森田剛)の社会復帰に情熱を傾ける。NHKBSプレミアム「生きて、ふたたび 保護司・深谷善輔」(21年11月~22年1月)は、舘ひろしが元国語教師の保護司を熱演した。保護観察の対象者と向き合いながら、自らも生き直しを模索する。蓮仏美沙子、浅丘ルリ子らが共演した。
■法務大臣が委嘱「立ち直りを支える活動」
法務省によると、「更生保護」とは国が民間の人々と連携して、犯罪や非行をした人の立ち直りを支える活動のことである。その結果、再犯を防ぎ、地域の犯罪・非行の予防につながるとされている。
保護司はその最前線に立つ。関係組織の推薦により法務大臣が委嘱する。
▼任期と身分 任期は2年(再任可)。委嘱されると、主に地元の保護区(全国886)に配属される。研修がある。身分は非常勤の国家公務員だが、給与はない(職務に要した費用は支給)。実質的には民間のボランティアである。保護司の職業は会社員、宗教家、教師、自営業、無職(主婦を含む)などが多い。
▼職務 <1>保護観察(罪を犯した人と定期的に会い指導・助言)<2>生活環境調整(社会復帰の受け入れ態勢を整える)<3>犯罪予防活動(毎年7月の「社会を明るくする運動」など)。国家公務員の保護観察官と協働して職務にあたる。
▼保護司の要件 <1>社会的信望がある<2>熱意と時間的余裕がある<3>生活が安定している<4>健康で活動力がある。
▼定数 保護司法で保護司数は全国で5万2500人を超えないとされている。現在は約4万6000人(1月時点)と減少傾向が続く。若い世代のなり手が少なく、8割が60歳以上。そのうち70歳代が約4割を占める。法令上の定年はないが、最長で78歳の前日までとされており、今後、激減が懸念されている。女性の割合は約27%で上昇傾向にある。
▼改革 5月中旬に「持続可能な保護司制度の確立に向けた検討会」が法務省で初めて開催された。推薦から公募制の導入、年齢の上限の見直し、ボランティアではなく報酬の支払いなどが今後、検討されるという。
○…鳥羽は昨年、デビュー40周年を迎えた。「なかなかヒットの出ない時代になっちゃったけど、これからも頑張る」と気合を入れる。新曲は「されど人生」。亡くなった旧友を見送り、ひとりしみじみ思いをはせる男の心情を歌う。抑えた歌唱が心に染みる。「コロナ禍の最中にどれだけの人を送ったか。会いたくても会えない。誰もが感じたんじゃないかな」という思いも込め歌っている。
◆鳥羽一郎(とば・いちろう)本名・木村嘉平。1952年(昭27)4月25日、三重県鳥羽市生まれ。漁船員、板前修業を経て、27歳の時に作曲家・船村徹氏の内弟子となる。30歳の82年に「兄弟船」でデビュー。NHK紅白歌合戦は95年から通算20回出場。第40回日本レコード大賞(98年)で最優秀歌唱賞。ヒット曲は「男の港」「男は浪漫」「中仙道」「泉州春木港」「カサブランカ・グッバイ」など多数。全国に12の歌碑がある。チャリティー活動で紺綬褒章を7度受章。長男の木村竜蔵は歌手・作曲家、次男の木村徹二も歌手。弟は歌手山川豊。170センチ、血液型B。
◆笹森文彦(ささもり・ふみひこ)札幌市生まれ。83年入社。主に文化社会部で音楽担当。芸能人の保護司は多くはない。今回あらためて調べてみると、女優の小暮実千代さんが73年に、歌手さとう宗幸が86年に、歌手千葉紘子が90年に保護司を委嘱されている。プロ野球ヤクルトでエースとして活躍した尾花高夫さんも保護司である。