女優広末涼子(43)が、キャンドルアーティストのキャンドル・ジュン氏(49)と離婚した。所属事務所の公式サイトで発表した。3人の子供の親権は広末が持つという。人気料理人とのダブル不倫騒動の結末である。

16歳の96年に、ポケットベルのCMで一躍人気者になった。97年に歌手デビューし、NHK紅白歌合戦に初出場した。当時、女性アイドル歌手がデビュー年に紅白に出場したのは、松田聖子ら以来19年ぶりだった。俳優としても、出演映画で数々の賞を獲得した。まさに順風満帆だった。

99年には、早稲田大教育学部国語国文学科に自己推薦入試で合格。初登校の際には報道陣100人。一目見ようと集まった学生らは1000人を超えた。仕事の都合で、03年に退学したが、その注目度は「ヒロスエ現象」と言われた。

広末の変化を、3度登場した日刊スポーツのインタビュー紙面「日曜日のヒロイン」で追ってみた。最初は16歳の現役女子高生だった97年2月である。

「自分がどうなるかって第三者的に考えてました。だれみたいに、というものもなくて。つくったものじゃなくて、“広末涼子”になりたいんです」

2度目は29歳の09年11月。前年の08年に1度目の離婚を発表。低迷が続き休業もしたが、出演映画「おくりびと」(滝田洋二郎監督)が、米アカデミー賞で日本映画で初めて外国語映画賞(当時)を受賞。再注目された年だった。

「振り返ってみれば、14~15歳でいきなり大人の世界に飛び込んで、めまぐるしく動いているうちに、いつの間にか“広末涼子”というものが作り上げられてしまって。自分の気持ちはまったくそこに追いついていかなかった」

「みなさんが思う“広末涼子”が作られたのも、自分が目の前のことに一生懸命向き合ってきた結果。それは、すばらしいことであり、そのことで自分が受けた衝撃は、自分で立ち直っていかなければならないんだと受け入れることができたんです」

3回目は39歳の20年2月。夏に40歳になる前の、インタビューだった。

「若い時は、太く短く生きたいと思っていたんです。今家族ができて、守るべきものがあって、そして30代を女優として生きて来られて、10代、20代よりもはるかに幅が広がった。それを経験させてもらったことで、もっとうまくなりたいとか、もっと伝えられたらとか、若い時より欲が出てきた。このお仕事が一生ものだなと思えるようになってきた。40代を新たなスタートとして頑張っていきたいなと思っています」

10代から「広末涼子」とは何者かを自問してきたことがうかがえる。語っていた40代の夢は崩れかけている。ダブル不倫騒動のツケは大きい。【笹森文彦】