日本テレビの藤井貴彦アナウンサー(52)が、3月末で同社を退社しフリーアナウンサーになると、1月22日に正式発表した。
「日本テレビの看板であるnews zeroを担当する責任感と後輩たちの育成中に退社していいのかという迷いもあり、人生初の退社届は難航を極め、28枚書いてやっと形になりました。印鑑を押す利き手の左手も震えて、右手で震えを抑えていたのを覚えています」
同社を通じて発表したコメントの実直さに、藤井さんらしいなと思った。
記者は芸能担当になる以前、サッカー担当をしており、日本テレビ系で放送されている全国高校サッカー選手権の取材を10年以上、続けてきた。大会前には、出場校の調整試合を回って事前取材をするのが常だったが、全国各地で決まって出会うのが藤井さんだった。
当時から、藤井さんは人気アナウンサーだったが、いつ、どこで会っても「村上さん、またお会いしましたね」「よろしくお願いします!」「情報交換しましょう!」などと気さくに声をかけてくれた。地方の競技場は最寄り駅から遠いのが常で、移動するためにタクシーを確保するのも一苦労だった。そんな中、互いにタクシーを止めては相乗りした。カメラなど、こちらが機材が多いのを確認すると、トランクを開けて運んでくれた。情報交換する中、つい、互いに熱がこもって声が大きくなり、笑い合ったこともあった。
藤井さんは、10年3月に「news every.」のメインキャスターに就任し、日テレ夕方の顔になった。それ以降、顔を合わせる機会はなくなったが、夕方に番組を見るたびに、高校サッカーをともに取材していたころと変わることがない実直な姿勢に、いつかまた、どこかで話がしたいと、ずっと思ってきた。
2011年(平23)3月11日に東日本大震災が発生した際、サッカー担当から芸能担当になっていた記者は、すぐに東北に向かい、津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町などの被災地を取材した。しばらく現地で取材して、東京に戻った後、同じ時期に藤井さんも南三陸町で取材していたことを知った。父を亡くした男性を取材して、遺体を一緒に運ぶ藤井さんの映像を見た時に、一緒に地方で高校サッカーを取材をした際、機材を運んでくれた藤井さんの姿と重なって見えた。
取材対象だろうが、現場をともにするメディアであろうが、人と真っすぐに向き合い、心を配る実直な人…それが、藤井さんに抱いたイメージだ。そんな藤井さんと、機会が巡ってくるならば、どこかで語り合いたい。「news every.」のメインキャスターを務めた14年の間に、日本をどう見ていたか。そして、この先、日本はどうなっていくと予測しているのか…。語りたいことは、山ほどある。【村上幸将】



