美輪明宏(みわ・あきひろ)さん(本名丸山明宏=まるやま・あきひろ)が20日に老衰のため死去したことが28日、公式サイトで発表された。91歳。演劇の舞台やステージ、歌番組、映画、バラエティーなど、幅広い場面でかけがえのない活躍した、あらゆる分野で超越した人だった。

   ◇   ◇   ◇

美輪さんには歌手、俳優の肩書は無用だった。歌い、演じ、自らの舞台やコンサートを演出し、本を書き、霊能者としてスピリチャルな世界を語る姿すべてが「美輪明宏」だった。

美輪さんを初めて見たのは、50年ほど前のシャンソン喫茶「銀巴里」。40代の美輪さんは美しく、ドラマを語るように10分近くも歌う姿に心を打たれた。記者になって、美輪さんが親交のあった三島由紀夫さんの「黒蜥蜴」、寺山修司さんの「毛皮のマリー」、そして美輪さんが愛した曲「愛の讃歌」を生んだピアフの生涯を描いた舞台「愛の讃歌」などの主演舞台を見られたことは幸せな時間だった。そこで共演する若い俳優は美輪さんの恋人であることが多かったけれど、隠すことはなかった。

一時期、取材すると激しくせき込み、テーブルにティッシュの山ができた。楽屋でせきが出ても、舞台に出るとせき込むことなく、歌い演じた。10年以上もせきに悩まされたが、後に「びまん性汎細気管支炎」と判明し、完治した。病に打ち勝つ忍耐力の人だった。

世田谷区内の自宅に何度か伺ったことがある。カナダ大使の元邸宅だった英国風洋館で、高い天井にシャンデリアが下がり、リビングには18世紀のロココ調家具が置かれていた。そこにドレス姿の美輪さんが現れると、時空を超えた不思議な感覚になったものだった。芝生が広がる庭に1本の木が植えられ、美輪さんが愛した「黄色」のレモンが実っていた。

世の中を超越したように見える美輪さんだが、故郷長崎で原爆の被爆者となり、悲惨な光景を見ている。最期に残した「愛があれば戦争なんか起こりません」のメッセージは、生涯貫いた「愛」「非戦」の思いを込めた遺言のように思う。そして、生前「90歳までは現役で頑張る」と言っていた。91歳で死去。有言実行の美輪さんは、やっぱりすごい人だった。【林尚之】

【まとめ】美輪明宏さん「愛」遺し逝く 木村拓哉、市川團十郎ら芸能界から悼む声