「あーあ、やんなっちゃった」と歌う社会風刺で人気を博したウクレレ漫談家の牧伸二さんが29日未明、東京と神奈川の都県境の「丸子橋」から多摩川に転落、病院へ搬送され死亡が確認された。78歳。東京都出身。橋には牧さんが使っていたつえが残されており、警視庁田園調布署は自殺とみている。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は妻良子(よしこ)さん。後日、しのぶ会を開く。

 田園調布署によると、29日午前0時15分ごろ、牧さんが丸子橋の欄干から数十メートル下の多摩川に飛び降りるのを通行人が目撃し、近くの交番に届けたという。同署員が駆け付け、川に浮かんだ牧さんを発見した。

 救急搬送時は意識不明の状態だったが、病院で死亡が確認された。橋には牧さんのつえが残されていた。同署は自殺とみている。

 転落を目撃した40代男性は「ガチャーンという大きな音がして、自転車が川に落ちたかと思った」と証言。現場から約2キロ離れた東京都大田区の自宅から遺書は見つかっていない。

 牧さんは亡くなる前日28日に異様な動きをしていた。会長を務める東京演芸協会の関係者や付き人によると、牧さんは午前11時半に東洋館(台東区浅草)で客の出迎えをして、午後1時半からお江戸上野広小路亭(台東区上野)の舞台に出演。その後、付き人とタクシーに乗って同4時10分から東洋館でトリの舞台に出演するため浅草へ移動した。浅草に到着したのは午後2時すぎ。出演まで約2時間あり、付き人に「コーヒーを飲んでから行くわ」と言って、東洋館近くの喫茶店に1人で入った。

 しかし、出演時間になっても姿を見せなかった。夜に行われた協会理事会も欠席した。付き人の男性は「これまで舞台をすっぽかすようなことはなく、こんなことは初めて」と話した。

 29日午後、牧さんの自宅前で取材に応じた次女の真理子さんは「28日は昼前に自宅を出て、そのまま(自宅には)帰って来ませんでした。びっくりというか、頭が真っ白です…」と言葉を詰まらせた。牧さんは妻と三女の3人暮らしだった。28日は携帯電話を自宅に置いて外出していたため、連絡が取れなかったという。真理子さんは最近の様子について「『電車で出掛けるのも勉強だ』と言ってよく電車で出掛けていた」と語った。

 牧さんは1957年(昭32)に漫談家牧野周一さん(故人)に弟子入りした。59年に牧野さんにウクレレ漫談を勧められ「キャッチフレーズ」を考えようと山手線に乗車し、何周も回りながら乗客の話を聞いた。そこで「やんなっちゃったー」と言っている人が大勢いたことから「やんなっちゃった節」が誕生した。

 02年には公演中に脳内出血を起こし、左半身がまひした。その後、懸命のリハビリで舞台復帰を果たした。11年には牧さんのたばこの火の不始末が原因で、自宅の応接間から出火するボヤ騒ぎがあった。

 今日30日には東洋館で舞台に上がる予定だった。また、来月5日には静岡県三島市で舞台「牧伸二と百人の芸人たち」の公演も控えていた。【細江純平】

 ◆牧伸二(まき・しんじ)本名・大井守常。1934年(昭9)9月26日、東京都目黒区生まれ。57年に漫談家牧野周一さんに弟子入り。自己流でウクレレを習得し「やんなっちゃった節」で人気者に。63年にNETテレビ(現テレビ朝日)「大正テレビ寄席」の司会を務める。65年には第2回日本放送作家協会賞・大衆芸能賞を受賞し、映画やテレビドラマなど俳優としても活躍。99年に東京演芸協会の会長に就任。02年に脳出血で療養とリハビリを余儀なくされる。復帰後の03年に文化庁長官賞を受賞した。

 ◆「やんなっちゃった節」

 57年に弟子入りした漫談家牧野周一さん(享年70)から「何か楽器を使ってみたら」と言われて手軽そうなウクレレを始めたが、なかなか上達しなかった。そんな時に思わず出た言葉が「あ~あ、やんなっちゃった」だったという。都電やバスに乗っても同じ言葉をよく耳にしていた。これをヒントにハワイアンにのせて歌ってみたのがきっかけだった。ネタ探しはおもに新聞を利用。朝に読んだもので、夜まで頭に残っているものに節を付けたという。