11日に食道がんで亡くなった女優淡路恵子さん(享年80)は、今もなお離婚した萬屋錦之介さん(享年64)を思っていた。淡路さんの遺体はこの日午後8時24分に東京・豊島区の仙行寺に到着。長男で俳優の島英津夫(52)が遺体と対面後、「子どもよりも旦那さんのために生きた」と母親の人生を振り返り、淡路さんの自室に錦之介さんと先立った三男、四男の写真を飾っていたことを明かした。通夜、葬儀・告別式は未定。

 島は、淡路さんの人生を「何事にも後ろを向かず、自分を犠牲にしてまで、離婚の時も自分が表に立って、愛する人のため、愛する家族のために生きてきた人。弱音は絶対吐かなかった母でした」と振り返った。

 13億円の借金、親友であった甲にしきとの不倫、離婚…恨みつらみも乗り越えて、どこまでも錦之介さんを愛していた。「母親としては、何についても『きんちゃん、きんちゃん』と子どもよりも旦那さんのために生きてきた人だったと思う」。その言葉を証明するように、晩年、淡路さんの自室には、錦之介さんが宮本武蔵を演じた時の写真と、先だった三男と四男の写真を飾り、毎日お酒や食べものを供えていたという。

 また、島が時代劇や錦之介さんのことを若い役者にも伝えるべく「萬屋錦之介一座」を立ち上げたときにも、喜んでいたという。別れた夫ながら、墓参りも続けて「長男がお父さんのために、頑張ってるのよ」と報告していた。

 島はこの日も同寺のすぐ隣の劇場で、「二○一四年新春本公演

 三館同時公演」に出演したため、淡路さんをみとれなかった。亡くなるまでの経緯を振り返る中では、10月には会話ができない状態になったことを明かした。一方で、淡路さんは病床で半紙に自身の本名や芸名をしたため、「もう書けないから。形見と思って大切にして」と島に手渡していた。

 また、11月中旬に島が病室に訪れた際も、淡路さんの意識もうっすらしている中だったが、台本の完成を報告すると、目を開いて「分かった」と応えてくれたという。「親孝行する前に死んでしまいましたけど。もっともっと親孝行していきたいです」。気丈に話し続けた島は、最後に唇をかみしめた。