英チャールズ国王の戴冠式が6日にロンドンで行われた。戴冠式がメインストーリーとすれば、サイドストーリーの1つが、国王の次男ヘンリー王子(38)の動きだった。王子は滞在する米国から家族を残して単身、英国入りし、父の戴冠式に出席したが、すでに王室を離脱した身で、兄ウィリアム皇太子一家やほかのロイヤルファミリーとの扱いは、当然ながら違った。 会場のウェストミンスター寺院では、かろうじてロイヤルファミリーエリアに座ってはいたが、馬車による行進や恒例のバルコニー登場には参加しておらず、疎外感が際だった。CNNなどの報道によると、国王のバルコニー登場の際にはすでに、ヒースロー空港で米国に戻る航空機の出発待ちの状態だったという。女優出身のメーガン妃と結婚後王室を離脱して米国に移り、ドキュメンタリー番組や著書「スペア」で王室批判を繰り返し、大きな確執を生んだことを考えれば仕方ないことだった。

戴冠式に向かうヘンリー王子(ロイター)
戴冠式に向かうヘンリー王子(ロイター)

ただ、かつては「やんちゃな次男坊」として英国民に愛された(現地ではウィリアム王子=当時=以上と聞いた)ヘンリー王子のことを考えると、家族でありながら70年ぶりに行われた国王の戴冠式という英王室の歴史的なイベントで置かれた立場のもの悲しさといったら、なかった。

王室の王子という、一般人には想像がつかない立場の顔を持ちながら、1人の人間として多くのことに傷ついた結果が、今の立場をつくった。「王子としての顔」はある意味、完璧だった。そう感じたのは2019年11月、イングランドラグビー協会名誉総裁として、初めて日本を訪れた際に取材した際のヘンリー王子の立ち振る舞い。「これぞ王子さまだ」と感じた記憶は、その後のヘンリー王子の言動とはまったくつながらないものだった。

ヘンリー王子を取材したのは、東京パラリンピックに向けて日本財団が整備した、パラスポーツ専用体育館の視察。王子は傷病兵らの国際スポーツ大会「インビクタス・ゲームズ」を創立するなど障がい者スポーツ支援に力を注いでいた。

濃紺のシャツに、同色のパンツをちょっと腰パン気味にはきこなし、車いすラグビーの選手に「こういった練習場があるのはいい。東京大会は金メダルだね」と語りかけ、ボッチャの選手には「絶対に強くなって」と、話しかけた。

東京パラを目指す選手に視線を合わせ、熱心に耳を傾けていた、英王室離脱前のヘンリー王子(2019年11月撮影)
東京パラを目指す選手に視線を合わせ、熱心に耳を傾けていた、英王室離脱前のヘンリー王子(2019年11月撮影)

車いすの選手の視線に合わせてひざまずき、選手の目を見ながら優しく、スマートに、気さくに言葉をかけていた。案内役の選手が、2012年ロンドンパラリンピックの成功に触れると、王子はとても喜んだといい「初めて日本に飛行機で飛んできたが、割と近かった。来年もぜひ東京に来たい」と、東京五輪・パラリンピックでの再来日に意欲をみせていた。しかしコロナ禍で大会は1年延期され、その後、王子は王室を離脱。英王室メンバーの「ヘンリー王子」として来日する機会は、もう永遠になくなった。

兄のウィリアム皇太子(当時は王子)が2015年3月に、東日本大震災の被災地を訪問した際にも取材に行ったが、兄のどこまでも落ち着いた態度とは少し違った、とっつきやすさ、親しみやすさをヘンリー王子から感じた。英国在住の知人に、以前「親しみやすさこそ、ヘンリーの人気の理由」と聞いたこともある。それが、一連の流れで、いまや王室だけでなく英国民からも冷たい視線が注がれている。

2005年4月、皇太子時代のチャールズ国王がカミラさんと再婚した時も、ウィンザー城まで取材で追いかけた。大勢の観衆や大柄なカメラマンたちに遮られながら、必死に撮影した写真はほとんどブレブレだったが、カメラマンたちの隙間から見えた先には、式に参列するウィリアム、ヘンリー両王子がいた。2人ともまだ20代前半。笑い合い、じゃれあいながらバスから降りて、会場に入っていく仲むつまじい姿だった。王子たちへの声援も、たくさん飛んでいた。

ヘンリー王子の王室離脱以降、あの時の姿をよく思い出す。お兄さんとああいうふうに笑い合う姿は、もう見ることができないのかもしれない。そして、日本で見せた親しみやすい「王子さま」の姿も。戴冠式での様子を見て、自分の記憶の中の王子との大きな落差を感じずにいられなかった。【中山知子】