かつてはどの映画館にも、上映作品を紹介する大きな看板が掲げられていた。それを描いていたのが映画看板絵師。古今東西の銀幕スターを、絵の具を使って手描きで巧みに再現した。シネコンが主流となるとともに看板はポスターに取って代わり、映画全盛期を支えた絵師の職人芸も消えつつある。水戸市で開催中の“伝説の絵師”の個展を取材した。

 水戸市の常陽史料館で開催中の「スクリーンの仲間たち」展は、大下武夫さん(75)が描いた47点の作品が展示されている。大下さんは16歳でこの世界に入り、現在まで約60年にわたり描き続けている。現在、同市でただ1人の映画看板絵師だ。

 「トラック野郎」「ALWAYS 三丁目の夕日」「ロード・オブ・ザ・リング」などの看板に加え、ハリウッドや日本のスターの肖像画がずらりと並ぶ。オードリー・ヘプバーン、マリリン・モンロー、ジョン・ウェイン、石原裕次郎、高倉健、勝新太郎…。これらの肖像画は、看板の人物だけを抜き出して、小さい板に描き直したものだという。大下さんの趣味で、仕事の合間に描きためてきた。

 大下さんは19歳で水戸東映の専属絵師となり、26歳で独立。一番忙しかったのは70、80年代で、水戸東映をはじめ同市にあった11の映画館全ての看板を手掛けたという。「常に締め切りに追われ、徹夜もしましたが、穴をあけたことは1度もありません。毎日たくさんの方に看板を見てもらえるのは、絵描きとして、この上ない喜びでした」と言う。

 映画館から届いたポスターを基に、人物の配置など構図を自分で考える。看板は縦長や横長などサイズがいろいろで、ポスター通りにはいかない。紙を貼った板に鉛筆で下書きし、アクリル絵の具で色をつける。この絵の具は速乾性のため、色を重ね合わせるのはスピード勝負だ。「人物の肌を柔らかく、きめ細かく描くのがコツ」で、1枚の看板を約1日半で仕上げたという。

 00年代に入り、映画興行の主流は、既存の映画館からシネコンへと移り変わる。大下さんの“主戦場”だった水戸東映も06年に閉館した。手間や経費のかかる看板は徐々に姿を消し、デジタル印刷のポスターに代わっていく。大下さんの最後の仕事は、15年の日本映画「ローリング」。水戸市で撮影された作品で、同市で開催されたイベントのために描いた。

 個展会場の常陽史料館には、昭和を懐かしむ年配の映画ファンが多く訪れている。同館によると、「映画看板を初めて見た」という20代の若い来館者もいたという。

 大下さんは「映画看板絵師は、もう全国にほとんどいないと思います。私たちの仕事が忘れられることなく、今も見に来てくださる方がいるのはありがたいですね」と話す。今回は展示されなかったが、アトリエには「昭和残侠伝」「仁義なき戦い」など東映全盛期の映画看板も大切に保管されている。【田口辰男】

 ◆大下武夫(おおした・たけお)1942年(昭17)1月21日、青森県階上町生まれ。16歳で地元の看板制作会社に入社。19歳の時に知人の誘いで、当時オープンしたばかりの水戸東映の専属絵師となる。26歳で独立し、制作会社「彩画(さいが)」を水戸市に設立した。

 ◆シネコン 米国で発祥し、90年代に日本に上陸した。1つの施設内に多数のスクリーンを持つのが特徴。映連のデータによると、00年は全国2524スクリーン中、シネコンは1123スクリーン(44・4%)だったが、16年は全国3472スクリーン中、3045スクリーン(87・7%)がシネコンだった。ちなみに最も映画館が多かったのは1960年(7457スクリーン)で、石原裕次郎、小林旭、宍戸錠ら日活映画の全盛期だった。

 ◆「スクリーンの仲間たち」展 今月16日まで水戸市の常陽史料館で開催されている。入場無料。開館時間は午前10時~午後5時45分、月曜日休館。水戸市備前町6の71、【電話】029・228・1781。