三連水車に関する最古の記録は、228年前にさかのぼる。1789年(寛政元)の文書に二連水車を三連に増設したとある。筑後川の右岸側に堀川用水を引く山田堰(せき)ができたのが1663年(寛文3)。350年以上前から地域の農地を潤してきた用水だったが、豪雨が運んだ土砂や流木で詰まり、農地への水の供給が止まった。

 堰や水車を管理する山田堰土地改良区の坂田誠治事務局長(59)によると、山田堰の堀川用水の恩恵を受けていた農地は650ヘクタール。農家の世帯数は1200世帯にも上る。稲は3割以上が土砂に埋まったり、流されたりする被害に遭った。流されずに残った稲も立ち枯れが進んだ。普段の収穫量はとうてい見込めない。

 水は通ったが、土に埋まった水田も多い。地域の農業関係者は「高齢化が進む中で、農地の復旧に資金をかけて米を作れる人がどれだけいるか。離れる人は相当出る。用水は(雨水などの)排水もかねている。このままでは、ただの排水路になってしまう用水も出てくるのでは」と話した。【清水優】

 ◆朝倉市の水車群 筑後川右岸の水面より高い農地に送水する装置。筑後川から山田堰で取水した水を堀川用水に流し、上流から菱野の三連水車、三島の二連水車、久重の二連水車の計7基の水車があり、35ヘクタールの農地に送られる。1780年代には運用されていた。田植えから稲刈りまで稼働し、冬から春に補修管理を行っている。観光資源としても有名で、1990年に国の史跡に登録された。山田堰の取水量は毎秒4トン。650ヘクタールの農地を潤してきた。