平成に入ってすぐ、エロスとアートの壁を崩した写真集が世に出された。1991年(平3)に発売された女優樋口可南子の「water fruit」で、ヘアヌードが事実上解禁され、18歳の清純派、宮沢りえが一糸まとわぬ姿を披露した「Santa Fe」は165万部を売り上げるベストセラーに。ヘアヌードは社会現象となった。両作品を撮影した写真家の篠山紀信氏(78)が、ヘアヌードで始まった、平成という時代を振り返った。【取材・構成 大井義明】

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91年、篠山氏は、それまで禁じ手とされていたヘアヌード写真集「water fruit」を世に出す。

篠山氏 それは時代が呼んだんですね。90年代に入って、僕も作品的な、写真の原点に戻るような活動に入った。樋口さんを撮るのは3度目。それだけ魅力的だった。ヘアヌードブームのきっかけと言われるけど、僕はそういうつもりで作ってないんです。日本でも、海外の写真家の作品にはヘアが写っていたので、モノクロームのアート風の作品ならヘアは問題ないと考えたんです。それまでは僕も手で隠したりしながら、エンターテインメントものはやっていたんですけど。表現の自由の獲得とか、権力に対するとか、そんな気持ちはなかった。そうしたら週刊誌が騒ぎだして、大騒ぎになったんです。

-同じ年に「Santa Fe」も発売

篠山氏 本木(雅弘)さんの写真集があって、次が、りえちゃん。「Santa Fe」も僕にとっては極めて真面目な取り組みなんです。昔サンタフェで女性画家G・オキーフと写真家A・スティーグリッツという夫婦がいた。この人たちがニューメキシコの砂漠で、8×10という大きなカメラを使って撮影していた。学生時代、それを「すごくいいな」「サンタフェは聖地」と思っていたんです。で、18歳のりえちゃんが汚れのない聖女に思えて、聖女を撮るなら聖地で撮ろうと、サンタフェに行って大型カメラで撮ったんです。

-一気に社会現象に

篠山氏 世間ではお父さんが買って一家で見たり、学生はお金を集めて教室で見たっていうね。ヌードって隠れて見るものだったのにね。ヌードの偏見を国民的に覆した本かもしれない。僕は自分ではヘアヌードなんて1度も言ってない。ヘアヌードて言われるから写ってるのかと、見たら1枚なんだよね。よくこれでヘアヌードって言うなって。世の中がジャンルを作っちゃったんだよね。

-他の写真家も追随

篠山氏 猫もしゃくしもヘアヘア。「気に食わないな」と思ってヘアだけの写真集を出したら、これは売れなかったね(笑い)。ただ、社会的にはそうなったので、時代を作ったきっかけになった本だということは、そうなんでしょう。僕も逮捕かな、と思っていたけど何も言ってこなかった。

-りえはヌード経験者のイメージも変えた

りえちゃんは最高の時に撮った。その後の活躍もすごいじゃない。ヌードやったからダメ、なんてことはない。(大きく)なる人はなるんだよ。

-時代が撮らせたとは

篠山氏 その年代の写真はその年代でしか生まれない。60年代の日本は貧しかったけど、イケイケドンドンでみんな高度成長に向かって一生懸命いろんなことをやっていた時代。表現者もなんか新しいことをやろう、という勢いがあった。70年から80年代半ばは週刊誌の時代だね。僕は30代から40代で、ありとあらゆる雑誌をやっていたからね。80年代後半になるとバブルのころで、東京という都市に面白いものが次々できて、その猥雑(わいざつ)さをカメラ数台つなげた「シノラマ」で撮るわけです。

-そして平成に入る

篠山氏 90年代はバブルがはじけて、ちょっと落ち着くんだよね。写真表現もね。それで僕も作品的なものにいく。00年代は一番大きな変化で、デジタルの登場なんですよね。写真の発明から200年もたってない中で、一番大きな変革期ですね。

-デジタルでヌードに変化は

篠山氏 撮ったらすぐ見せられるんだから。「きれいだよね、これ」って言うと「いいですね」と。一緒にモノを作りやすいよね。ポラロイドは5分かかった。5分と、見せてすぐって違うんだよね、一体感が。

-SNSでの拡散や規制強化の動きなど反動も

篠山氏 それは時代だな、と思っている。いい悪い、じゃなくて。SNSは誰が見るか分からないじゃない。ただ別にヘアがいけない、とお上が言っているわけではない。(アーティストなら)写真集やギャラリー展示とか(アートと)して世に出せばいい。何の表現をしても構わない、という国はないんですよ。今は日本にも児童ポルノ禁止法がある。時代時代、国、場所によって規制は必ずある。それはその国に生きているんだから。いろんな規制の中でやっていくしかない。そこで表現の自由と叫ぶのは、僕はそれはそれで面白くないと思う。まあ、こっちはいいと思って青山墓地でヌード撮ったけど(笑い)。時代時代の人間の好みとかテイストによって、法律も動いていく。時代に規制されているんだったら、それも含めて撮る。それが「写真は時代の映し鏡」ということなんですよ。

-ヌードを撮り続けている

篠山氏 ヌードって面白いテーマですよね。今でも全然面白い。写真にとって非常に大きなテーマですよね。人間の劣情を刺激させて興奮させるばかりがヌードじゃない。例えば、東京という都市がどんどん発展していく時に、いきなり大きいビルが建つわけではない。人間って、住んでいると目が慣れちゃうんですよ。でも、考えてみると変なモノができた、ということをより際だたせるためにヌードという「異物」を置いて対比する。そうやって、「あれ、不思議なモノができた」ということを見せることもできるんです。エロスを喚起させるだけじゃない。写真家にとって、ヌードは使い勝手がすごくいいんです。

-ヘアヌードの今は

篠山氏 今、ヌードになろうって気の利いた子はみんなヘアなんて剃っちゃって脱毛して、ないですよ。そうすると編集者は「貼って」って、ヘアの“カツラ”みたいなものを持ってくるんだよね。「そんなもの、いらないよ」と。ないものはないんだから。それも時代が変わっているということです。

-平成最後のヌードは

篠山氏 今は、元キャンパスクイーン3人の写真集「premiere」と「ラ・リューシュの館」。年を重ねていく中で、彼女たちが自ら「今、自分にできる確固たる作品を作りたい」と言いだして私に話が来た。これまでは事務所やマネジャーが「撮りましょう」だったけど、モデル自ら言ってきた。これはやっぱり時代だよね。

-平成の30年を経てこそ

篠山氏 そうです。今ヌード表現って、Metoo問題もあったり規制がかかって難しい。その中で彼女らは自ら、自分たちの一番いいところを撮って欲しい、と言ってきた。これは今、本当に新しい、平成最後に、この作品が出るのは記念誌的だよね。

-今あらためて、りえを撮りたいと思う?

篠山氏 りえちゃんは今も魅力あるけど、こういうのは縁みたいなもんだからね。考えてやりたい、というものではないんですよ。自然発生的な、機運みたいなものなんだよね。僕の場合、何らかのコミュニケーション、目的がなければ、どう撮っていいか分からないもん。

-次の時代は何を撮る

篠山氏 次の年号知ってますか?その年号の時代に聞いてくださいよ。その年号の生まれた時代が、次の作品を生みますよ。時代の生んだ人、モノに敏感に寄っていって、一番いい場所から、一番いいタイミングで撮るのが僕の写真なんだよ。だから必然的に時代の映し鏡となって、永遠に撮れるわけだよ。

-篠山氏の平成とは

篠山氏 いい時代、楽な時代とかないですよ。常に時代と並走しながら五感を敏感にしていく、って楽なことじゃないよね。だから、楽な時代はない。あの時代が良くてこの時代が悪い、ってこともない。時代っていつもこんなもんだな、と思っている。並走していければ、撮っている写真は古くならない。ただ若いときのパワーで並走しているわけではない。経験でカバーしている部分もある。だけど、並走しようっていう気持ちはあるんだよね。まあ、これがずれてきたり、ついていけない、となったらやめる。写真をやめるときはそういうときだろうね。