金色のシルクハットに日の丸の扇子-。「五輪おじさん」の愛称で親しまれた実業家の山田直稔さんが、9日午後2時55分、心不全のため東京都内の病院で死去した。92歳だった。1964年(昭39)の東京大会から2016年リオデジャネイロ大会まで夏季オリンピック(五輪)連続14大会に現地入り。派手なコスチュームで日本選手に声援を送る姿は、世界からも注目を集めた。葬儀は家族葬で行われ、誕生日の4月16日に都内のホテルで「お別れの会」を開く。

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「2020年は94歳。食べ物には気をつけてるよ。年1回、2CC10万円の栄養剤も打ってる」。山田さんは、それほどまでに地元開催の東京五輪を観戦したい思いが強かった。

東京五輪招致が決まった約1年後の14年夏、都内の高級住宅地にある山田さん宅で取材をした。1時間の予定だったが、約4時間、マシンガントークが止まらなかった。五輪を開催する上で「東京らしさがない」と言い、皇居内に江戸城の天守閣を復活させる計画を本気でぶち上げた。話は脱線することもあり、学生時代の“駆け落ち”にまで及んだ。

五輪愛に満ちあふれた人だった。自宅とは違うマンションの1室は山田さんの物置場。そこには64年東京五輪から、12年ロンドン五輪まで、自ら赴いた際の思い出の品が、ぎっしりと置かれていた。

必ずや20年大会も観戦すると心に決めていた。「84年ロサンゼルス五輪で長嶋茂雄さんに『インターナショナルチアリーダー』と呼ばれた私が、東京五輪にいなきゃ、世界中の人が『あのオヤジどうしたの?』って心配しちゃうでしょ」。その思いはかなわなかったが、きっと天国から東京を彩る平和の祭典を見守ってくれるはずだ。【五輪担当・三須一紀】