金色のシルクハットに日の丸の扇子-。「五輪おじさん」の愛称で親しまれた実業家の山田直稔さんが、9日午後2時55分、心不全のため東京都内の病院で死去した。92歳だった。1964年(昭39)の東京大会から2016年リオデジャネイロ大会まで夏季オリンピック(五輪)連続14大会に現地入り。派手なコスチュームで日本選手に声援を送る姿は、世界からも注目を集めた。葬儀は家族葬で行われ、誕生日の4月16日に都内のホテルで「お別れの会」を開く。

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「ニッポン応援団の顔」が急逝した。「これが最後の五輪。応援人生の集大成にしたい」。山田さんは20年東京五輪に、最期までに思いを高ぶらせていた。10年前に心筋梗塞で手術を受けたが、回復。今年1月の大相撲初場所でも、升席で元気な姿を見せていた。

2月10日から体調を崩し、同月下旬に都内の病院に救急搬送された。それでも容体は、亡くなる前日まで安定していたという。家族によると「(3月)9日も朝食を全部食べ、元気になっていた」という。「早く家に帰ろう」と話したほどだったが、同日午後に容体が急変した。自身2度目の東京大会まで503日のその日、帰らぬ人となった。

五輪愛を貫いた。夏季は64年東京大会を皮切りに14大会連続で現地入りし、声援を送った。日本が不参加の80年モスクワ大会、治安が懸念されたリオ大会も現地入りした。98年の冬季長野大会でもおなじみのいでたちで登場し、各大会で海外メディアにも紹介される人気者だった。

応援で世界中を旅した経験から「東京には安く滞在できるホテルが少ない」と自ら低価格ホテルを開業した。4月にお別れの会を開く、東京木場ホテル(江東区)もその1つだ。大相撲の大ファンでもあり、升席での派手な衣装とパフォーマンスはテレビ中継でもおなじみだった。

郷土愛も強かった。出身の富山県南砺市の観光施設に、自身が応援に使った国旗や記念メダル、写真など約200点を展示。開設・維持費用は自ら負担し、無料入場としている。同市の前身、井波町生まれであることから、次男将貴さんの長女には「伊奈美(いなみ)」と命名したほどだ。

「5人の孫と一緒に応援するのが楽しみ」と話していた地元五輪の夢は、かなわなかった。【大上悟】

◆山田直稔(やまだ・なおとし)1926年(大15)4月16日、富山県井波町(現南砺市)出身。日大工学部卒後、60年にワイヤロープ加工販売などを手がける会社を設立。亡くなるまで代表取締役会長を務めていた。